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名前 |
飛鳥東垣内遺跡(狂心渠) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
斉明天皇の御陵を参拝した後に訪問しました。当時の東アジア情勢を考えると、斉明天皇の狂心も国家運営には必要だったのでしょう。《解説看板》飛鳥東垣內遺跡平成11年(1999)年、飛鳥東垣内遺跡で7世紀中頃の幅約10m、深さ約1.3mの南北大溝が発掘された。この溝は飛鳥地域の中でも最大規模のもので、物質を輸する運河と考えられる。また、飛鳥池東方遺跡や飛鳥宮ノ下遺跡、奥山久米寺の西方でも見つかっており、総延長は約1km以上にも及ぶ長大なものになる。「日本書記」をみると、斉明天皇2(656)年の条に石上山(天理市の豊田山)の石(天理砂岩)を運ぶために渠を掘って舟運で運び、宮の東の山に石垣を造り、石の山丘と呼ばれたことが記されている。時の人はこの渠を「狂心」と呼んでいた。「宮の東の山の石垣」とは、南方にある酒船石遺跡のことであり、この大溝も酒船石遺跡の東裾から伸びている。飛鳥東垣内跡の大溝は、その規模や発掘時期・位置からみて「日本書紀」に記載されている「狂心渠」の一部である可能性が高い。