石垣が語る歴史の情景。
地黄陣屋跡(地黄城跡)の特徴
地黄陣屋跡では見事な石垣が残っており、迫力があります。
江戸時代の能勢氏本拠地の遺構が良好に保存されています。
虎口が現在の小学校の入り口となっているユニークな場所です。
穴場です石垣がかなり残っている。
石垣がいまでも残ってて歴史を感じます。こんなにちゃんと石垣が残ってるのは地元の方々の努力なんでしょうね。Googleマップに載ってる城址行ってもたいがい何が何なんかよくわからんし辿り着けなかったりするし。居城を構えてた能勢氏の事をもっと知りたくなりました。
空き地に神社みたいな石碑がある。くらいです。入口の説明書きを読み、この地域は、明智光秀の配下の家臣が歩んだ歴史を学べました。
高いところにあると思って自転車で気合入れて行ったら意外と低いところで拍子抜けでしたが、城壁も迫力あり良かったです。
何も無く ただ 見事な石垣が積まれてます。広い更地になった跡地にいにしえの威光や悲哀を感じました。🙏😔
城主だった 能勢頼次が明智光秀と共に本能寺の変を戦いました(^_^)v石垣と石碑があるだけですが、歴史好きな人は一見の価値あり(^_-)
江戸時代の旗本だった能勢氏(のせし)の本拠地です。地黄陣屋(じおうじんや)とも呼ばれていますが、石垣などもはっきりとしており、地黄城(じおうじょう)の方が実体に近いです。大阪府豊能郡能勢町地黄にあった日本の城(平城)です。平城ですが、山間部にあります。別名、地黄陣屋(じおうじんや)とも呼ばれています。地黄城は、地黄地区の東寄り、現在の能勢町立東中学校の前面にあたり、その部分はテニスコート及び一部教室にあてられています。東西75m×南北110mの地取りで、丹波国へ通じる道路からやや東に折れ引っ込んだ部分に、大手門を造っています。大手門は、石組みの枡形を止め、西、南、北を石塁で固め、北および南辺は土塁状に高くなって所々に屈折を持たせています。単郭式ながら近世陣屋城としての防備を整えていました。大手門跡には、石垣が残っており、現在でも城跡であることが、はっきり分かります。
身近な城跡として初めて行きました。アートレイクでよくラウンドしてたのに、こんなに近くにあったとは。
石垣、虎口など良好に残る。
| 名前 |
地黄陣屋跡(地黄城跡) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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江戸初期の城郭で大規模ではありませんが、石垣の見事な喰違い虎口が遺っています。駐車場も有り、見学がしやすいです。