歴史と共に忍ぶ神峰山。
忍頂寺の特徴
忍頂寺は聖武天皇の時代に行基が創建した歴史ある寺院です。
南の方が開けており、あべのハルカスが望める美しい景色があります。
小さな山中にあるコンパクトな寺院で車の駐車も可能です。
やまんなかーこじんまりとした神社。
お寺の屋根下に結構な大きさのスズメバチの巣があり、蜂が頻繁に飛んでいたので即座に退散。
こじんまりと山中にあります。よく手入れが行き届いています。
忍者の頂点に立つ武道会が毎年行われています。
歴史ある真言宗の寺です。ひなびた感じのお寺ですが、きれいに手入れされています。
茨木の中心街から山の奥の方にあります。入り口がわかりにくいので、ゆっくりと確認しながら進んでください。
寺伝によれば、聖武天皇の時代(724年–748年)に行基が創建したという。『摂津名所図会』には、開成王子が創建したと書かれている。いずれも史実とは考えられておらず、勝尾寺三世証道上人の弟子三澄が国家鎮護のため、851年(仁寿元年)に開基したという説が有力である。当時は「神岑山寺」(かぶさんじ)と称した。860年(貞観2年)9月20日に清和天皇より、忍頂寺の寺号を贈られ、勅願寺となった。鎌倉時代に仁和寺の支配を受け、南北朝時代のころいつ?,に、本堂が戦火に巻き込まれ焼失したと伝わる。永禄の頃には織田信長から保護を受けたが、キリスト教伝播の影響で寺院は焼かれ、キリシタン大名の高山右近に寺領を没収された。寛永(1624年–1643年)の頃、石橋院榮尊が中興を図った。のちに領主で名町奉行として知られた江戸幕府旗本小田切直年の支援もあったが、再び荒廃した。以上のように、全盛期には23もの寺坊を有し、勝尾寺や神峯山寺などと並び山岳修行(修験道場)の聖地として知られる大寺院 だったが盛衰を繰り返し、支院の1つであった寿命院が現在の忍頂寺として残っている。
名刹はさておき、南の方向が開けているのであべのハルカスなどが望めます。鐘楼の鉄柱は初めて見ました。
趣あって良いです。
| 名前 |
忍頂寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-649-3261 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
勅願寺 山号の賀峰山(かぶさん)が示すように 開成皇子が開祖の勝尾寺絡みの山岳信仰の場として 高槻の神峯山寺(かぶさんじ)と共に大いに盛え 往時は23もの坊を構えたが戦乱に続き 隣接する豊能高山庄を出身とする高槻の高山右近支配時にキリシタン信仰政策から寺院の焼き払いにあい没落 この後も盛衰あり 現存する支院の寿命院のみの小さな寺として残る。