1円切手で感じる歴史の重み。
前島密之像の特徴
郵政事業の進化を感じさせる貴重な彫刻です。
教科書でお馴染みの前島密之像がここにあります。
日本近代郵便の父像として名高い逸品です。
1円切手ですね。郵政民営化して本当に良かったんですかね?と聞いてみたい。
明治のはじめ、日本に郵便の仕組みを築いたのは『前島密(まえじまひそか)』である。 「日本近代郵便の父」と呼ばれ、現在でも1円切手の肖像として有名。 前島密は郵便の創業者としてその名を不動のものとしている。郵便関連のほか、江戸遷都、国字の改良、海運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など、その功績は多岐にわたる。天保6年(1835年)1月7日に越後の国(現・新潟県)中頸城(なかくびき)郡津有村字下池部(現・高田市)の豪農「上野助右衛門・貞子」の第2子として生れる。後に前島家を継ぐ。成人後、来輔と改名したが、国は輔の字を禁じたため密と改めた。郵便の父と呼ばれることが多い。日本では江戸時代に、私的な企業が郵便に近いことを実現していた。飛脚である。飛脚(ひきゃく)とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて、文書や金銭、小貨物などを送達する使いや人夫、またはその運送業を指す。飛脚の歴史は古く、奈良時代に大和朝廷が整備した交通・通信の制度「駅伝」に由来している。駅伝では朝廷の使者が馬を乗り継いで重要な知らせを地方に伝達していたが、武家が台頭し朝廷の政治力が弱まると、駅伝制度は廃れた。江戸時代には、幕府公用の継飛脚、諸大名が設けた大名飛脚、民間の営業にかかる町飛脚など、利用者と目的に応じたさまざまな種類の飛脚が存在していた。飛脚は、人馬がリレー形式で荷物を運ぶ輸送手段で、例えば江戸から京都までであれば、約492kmを3~4日で走破した。当然天候によるばらつきはあった。明治4年(1871年)に、欧米式の郵便制度が採用されたことで飛脚は廃止された。多くの人々は郵便局員や人力車の車夫に転職した。
分割民営化された今の郵政事業を前島翁はどう思っていらっしゃるのか、伺いたいです。
名前 |
前島密之像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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日本近代郵便の父像、教科書でも習う名前。