豊受大神が鎮座した小さな神社。
大神木神社の特徴
元伊勢の一つとして知られる、特異な歴史がある神社です。
大阪府の吹田市に鎮座する、独特の由緒を持つ場所です。
名神の高架下に位置し、マンションの一角に佇んでいます。
御祭神 大神木神伊勢に鎮座された天照皇大御神が豊受大神を外宮に迎え奉った際、遷宮の途次、こちらに假宮を建て約一年鎮座されたと伝わります。元伊勢とも云われていますが、ネットにあるように、元外宮が正しいのかもしれません。
◆― 大神木(だいしんぼく)神社 ―◆「山田」の地名由来。古来千里丘陵は「上之山」と呼ばれていたが、雄略天皇23年(501年)、天照大神の神勅により丹波の豊受大神宮が伊勢外宮に遷宮する際、当地に仮宮を建て1年余り鎮座した。その折り当地を遷宮先の伊勢の山田ヶ原に見立て「山田ヶ原」と呼称したのが現在の山田となった。当社はその仮宮址の社。以下は高札の内容。大神木神社について今を去る二千有余年前 此の地に近在まれに見る大木があり 此の木を神木として崇め敬ひ 人呼んで大神木神社と呼称す日本書紀によると今から凡そ二千昔 国中に災害疫病が起こり 国土が荒れ果てようとした時 第十代崇神天皇が宮中に祀られてあった皇大御神を倭の笠縫邑(かさぬいむら)に移し ここに神を神籬(ひもろぎ)に建て皇女の豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)を神の守りとして奉仕させた 垂仁天皇二十六年皇大御神を永遠に祀れる平和な土地として伊勢国高倉山渡会(わたらい)の五十鈴川上に迎え奉り この時から皇大御神を天照大御神と呼び改め祀ることにしたのが伊勢内宮である。雄略天皇二十三年天照大神の神勅「吾れ既に五十鈴川上に鎭り居ると雖も一人にては楽しからず神餅をも安く聞食(きこしめ)しめすこと能はずと宣(のり)して丹波の比沼の真名井に坐(ま)せる豊受大神を吾がもとに呼び寄せよ」とのお告げにより伊勢国高倉山渡会の山田ヶ原へ迎え奉ったのが外宮である その遷宮の途次摂津国三島郷大神木に假宮を建て一年余りに渡り住居され今は大神木大神御一人になられるも五穀豊穣、商売繁盛、子授けの神とし祀り奉ふ。
名神の高架下、マンションの一角にあります。
| 名前 |
大神木神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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元伊勢の一つとも言われているの割には小さい、、、