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名前 |
大善坊校舎跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
磐田の中等教育発祥の地大善坊(だいぜんぼう)校舎跡地所在地 磐田市見付(見付駐車場)訪問日 2023/10/31見付駐車場に説明看板があったので紹介します。明治5年(1872年)、日本最初の近代的学校制度を定めた「学制」が発布され、村(現:地区)単位で、数多くの小学校がつくられました。さらに、明治19年(1886年)、小学校令が発布され、尋常科(現:小学校)と高等科(現:中学校)に分かれ、レベルに合った教育が受けられるようなっていきます。明治21年(1888年)には、この地に見付高等小学校として「大善坊校舎」が新築されました。一方、中等教育(現:高等学校)はすぐには普及せず、全国的にも数が限られていました。しかし、教育の普及と共に中等教育の場を望む声が高まって行きました。そして、明治29年(1896年)、この地「大善坊校舎」に、磐田市内初の中等教育の場である『中遠簡易農学校』(現:磐田農業高等学校)が開校しました。明治42年(1909年)に、中遠簡易農学校が現在地(磐田市中泉)へ移転した後も、「大善坊校舎」は磐田郡立実践高等学校(現:磐田北高等学校)や磐田商業学校(現:磐田西高等学校)、戦後には、現在の城山中学校の前身である磐田第二中学校としても利用されるなど、多くの学校の出発点になりました。