大阪の歴史を感じる高床式倉庫。
法円坂遺跡の特徴
法円坂遺跡は5世紀後半の高床式倉庫群が特徴です。
難波宮より古い歴史的な建造物が存在します。
大阪城公園から徒歩5分でアクセス可能です。
昔の高床式倉庫だそうです。再現したものがあり、周囲には遺構の柱と思しき石柱があります。近くには大阪城、難波宮跡もあり、かつては栄えた場所のようです。
大阪市中心部、上町台地北端の難波宮跡北西部に位置する古墳時代の大倉庫群跡である。上町台地北端では難波宮以前の建物遺構約200棟が検出されており、本遺跡もそうした難波宮下層遺跡の1つになる[1]。1987年(昭和62年)からの旧大阪市中央体育館跡地での発掘調査で発見され[2]、現在は大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の敷地内に位置する[1]。遺跡内では建物遺構として掘立柱の大型高床倉庫が計16棟検出されている[1][3]。この倉庫16棟は東西2群(東6棟・西10棟)に分かれるが、いずれも正方位の真東西に並ぶという古墳時代の建物としては例のない配置になる[1][3]。倉庫各棟は画一的な東西約10メートル・南北約9メートルの規模で[1]、現在はそのうち1棟が推定復元されている。
発掘調査によって発見された5世紀ころの倉庫が復元されています。立派な建物で昔は内部を一般公開していましたが、コロナの影響で見ることができなくなりました。以前のように、時間限定でも、難波宮遺跡探訪の中に組み込む見学でも良いので復活してもらいたいです。
◽アクセス①地下鉄 中央線・谷町線. 谷町四丁目駅:徒歩8~10分. (⑨番 出口から1分)②JR大阪駅前. シティバス (住吉車庫前行). 馬場町下車︰徒歩1分◽5世紀の「高床式倉庫群」▪法円坂遺跡は、5世紀後半に作られた. 倉庫の跡で、2列16棟からなる大型倉. 庫群です。▪倉庫は平均90㎡の面積をもつ高床式の. 建物です。▪現在、史跡公園化されて遺構の一部が. 復元展示(高床式倉庫1棟)されています。◽「法円坂遺跡」 データ▪️上町台地北端部に位置します。▪️古墳時代から 「難波津」 エリアとして. 重要な地域でした。▪難波宮下層遺跡の1つ▪1987(s62)年に始まった旧大阪市中央. 体育館跡地での発掘調査で発見。▪️大阪歴史博物館・NHK大阪放送局 と. 同敷地内に遺されています。.▪2001(H13)年、国史跡に指定されます。◽隣接施設▪大阪歴史博物館▪NHK大阪ホール◽周辺の史跡▪難波宮跡. (歩道橋、または⑩出口よりすぐ)▪森の宮遺跡▪大坂東町奉行所跡▪大坂西町奉行所跡▪京橋川魚市場跡碑▪八軒家浜船着場跡▪熊野街道起点の碑。
歴史博物館の入口近くコロナの影響で内部は見れず。
温かいけど、ちょっと風のある2月いつも仕事の行き帰りに通るだけの所に昼間来てみたら遺跡がありました。
法円坂遺跡は難波宮以前に存在していた法円坂遺跡復元倉庫を再現したもので興味深いが内容は良く解らない。現在も特定はされていないが海の無い古代邪馬台国の貿易港に成っていたのかと想像してしまう。大阪に住んで居るのに大阪の歴史は殆ど知らないし興味も無かったが眼前に現実を見せつけられると関心を持つ🎵上町台地の最北端でこの先は昔は海であったらしい、海を見下ろし出入りの船の監視も容易だっただろうと想像する‼️
大阪城公園から歩いて5分程度。大阪歴史博物館の敷地内にある古墳時代の大倉庫群跡。大阪歴史博物館やNHKのビルの大きなビルのすぐ前に、突然この高床式の建物があるのはかなりびっくり。タイムスリップした感じ。難波宮下層遺跡の1つとして、国の史跡に指定されています。交通の要所であった難波津、このあたりは物資の一大集積地として発展したと記載されています。かつては16棟以上の倉庫群があったそうで、茅葺きの高床式倉庫が1棟復元されています。立派な茅葺の屋根で、ミニチュアの骨組み模型も展示されています。常時開放されている展示物。大阪城のふもとだけあり、壮大な歴史ロマンを感じるひと時でした。
冬は寒いですが、休憩場所として利用できます。
| 名前 |
法円坂遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
06-6943-6836 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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NHK大阪放送局の隣で遺跡が見学出来ます。