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名前 |
藤井藍田 玉生堂跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
2.4 |
藤井藍田は1816年(文化13年)大坂に生まれる。幼名平三郎、名は尚徳。父は阿波の人で、大坂に出て南本町で呉服と藍を商う「綿屋」を営んでいた。父は藍田の幼い頃、流行病で病死、店は叔父治兵衛が取り仕切っていた。藍田は家業を受け継ぐが叔父と肌が合わず、家業にそっぽを向き学問に熱中した。画を中井藍江と田能村竹田、書を八木巽処に学び、広瀬旭荘には漢・儒学を学んだが、旭荘からは尊皇攘夷思想を吹き込まれ、その思想的影響を受けた。勤王の志が深く、国事に目覚め、薩摩・長州などを遊歴、勤王の志士と交友があったといわれる。帰阪後、1857年(安政4年)に南堀江高台橋南詰東入北側に家塾「玉生堂」を開き、漢・儒学の教授を始めたが、諸国放浪中に知り合った勤王の志士達が出入りし、彼らのアジトとなり、幕府からは危険分子として睨まれていた。こんな藍田を万福寺に屯所を置いていた新撰組が目をつけ、1865年(慶応元年)5月26日早朝、「玉生堂」に乱入、捕らわれの身となった。新撰組屯所の牢に入れられ拷問の末、牢死した。50歳であった。