相撲節会の跡地で歴史を感じる。
勧進相撲興行の地碑の特徴
勧進相撲が登場するまで、相撲は神様に奉納されていました。
かつての相撲節会の名残を感じられる史跡です。
高台公園に設置され、周囲にはグラウンドがあります。
勧進相撲が登場するまで、相撲は神様に奉納するものだったんですね。もともと、大関や関脇、関取の関は、関所の関だったそうです。関所を守る番人が力士の本来の仕事だった名残りなのだそうです。
勧進相撲の跡地。
高台公園の敷地内、西側歩道近くに設置されています。
今はグラウンドとして使われています。普段は中学校の授業やクラブで、夏には地域の盆踊りで使われています。
名前 |
勧進相撲興行の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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宮廷行事であった相撲節会(せちえ)は承安4年(1174)に廃止され、中世には武士社会に根付き、その屋敷内で行われていた。その反面民衆による勧進相撲は、江戸時代には風紀を乱すということで厳しく禁止されていた。しかし元禄ころからは勧進相撲の興行は緩和され、大坂の最初の興行はここで、元禄ころ行われたという。その後、四季8日の相撲が定例化し、大正14年には東京の相撲集団と合併し、大日本相撲協会へと発展した。