クレーター・アサダが歴史に。
麻田剛立墓所の特徴
天王寺七坂の口縄坂を登ると、浄春寺に到着します。
麻田剛立の墓所は、豊かの海の北端に影響を与えました。
クレーター・アサダの名は、剛立の業績を物語っています。
日本人で最初にスケッチした剛立の月のクレーターは、月の東半球側の「豊かの海」と呼ばれる海域の北端に存在する小さなクレーターで、1976年(昭和51年)国際天文学連合において「クレーター・アサダ」と命名され、剛立の名を歴史に刻みました。
| 名前 |
麻田剛立墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
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天王寺七坂の口縄坂を登り切ると右手に浄春寺というお寺がありその中に麻田剛立の墓がある。麻田剛立は豊後国杵築藩出身だが脱藩し大阪で活動した江戸享保〜寛政時代の天文学者。ケプラーの第三法則を自然に発見したとも言われ、月の観測において今でもクレーターにアサダの名を残している。人知れず立派な人っておられて静かに身近に眠っている事を発見し心を揺さぶられた。