亀塚稲荷神社の弥陀種子板碑。
亀塚稲荷神社の境内に「弥陀種子板碑」があります。港区立郷土資料館HPによれば『港区最古の造立年を記銘するものを含む3基の秩父型弥陀種子〈しゅじ〉板碑で、また造立年記不詳の他の2基とともに群を構成しているのは区内では珍しい例です。全国でも中世の関東地方に著しい信仰の特徴といわれる板状の秩父青石、すなわち緑泥片岩に刻まれた供養塔です。弥陀を表わす記号(種子)を上部に刻み、頂部を山状に切り出した秩父型の板碑3基は、それぞれ『文永3年(1266)12月[地上部高さ46.5cm、幅19.5cm]、『正和2年(1313)[同57.5cm、19.0cm]』、『延文6年(1361)[同31.8cm、16.8cm]』に造立された貴重なもので、特に文永3年の刻銘は港区最古です。いずれの板碑も、現在地に当初からあったものではなく、もともとは品川区上大崎にあったとも、亀塚稲荷神社付近にあったともいわれています。』
| 名前 |
弥陀種子板碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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弥陀種子板碑(みだしゅじいたび)は、主に鎌倉時代から室町時代にかけて造立された板碑の一種で、阿弥陀如来を表す梵字である「キリーク」を大きく刻んでいるのが特徴です。この「キリーク」は阿弥陀如来の種子(しゅじ)、つまり本質や象徴を表すとされています。板碑は、供養や逆修(生前供養)、死者の追善などのために建てられました。弥陀種子板碑の場合、阿弥陀如来への信仰、特に浄土信仰の高まりを背景に広く造立されました。阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主であり、念仏を唱える者を救済すると信じられています。そのため、弥陀種子板碑は、亡くなった人が阿弥陀如来の導きによって極楽浄土へ往生することを願う人々の祈りが込められています。形状は、一般的に緑泥片岩などの平たい石材を加工したもので、上部には山形や二重弧状の装飾が施され、下部には蓮華座などが彫られることが多いです。中央に大きく「キリーク」の梵字が刻まれ、その脇や下部には造立年月日、願主、供養の目的などが記されている場合があります。関東地方を中心に多く分布しており、地域によって形状や刻まれる内容に若干の違いが見られます。弥陀種子板碑は、当時の人々の阿弥陀信仰の深さや、死者への供養のあり方を今に伝える貴重な文化財と言えるでしょう。