飯盛山からの絶景、歴史を感じる。
飯盛城跡の特徴
飯盛城跡は三好長慶が居城とした歴史的価値が高い場所です。
低山ながらも、山頂からの景色は絶景で多様な風景が広がります。
整備された登山道と生物観察が楽しめるハイキングコースです。
雨上がりの午後に行きました!神社からの登山道はかなり整備されていました!キャンプ場からは車で行けるので便利です。晴れていれば眺めは最高かと!三好長慶はここに陣取り、大阪平野の動きを見ていた事を実感しました。
わりと広い山城で、車でも山上の近くまで行けますが、別ルートで麓の神社から少し歩いて登りました。石垣があちこち残っています。
「キャンピィだいとう」傍の駐車場(無料で舗装、16台程度駐車可)を利用し登城開始。駐車場から馬場跡の楠公寺迄徒歩約10分で到着。入口案内板には石垣ガイドのパンフレットがあリ、天下人三好長慶の築いた石垣の山城、散策に便利。曲輪跡や堀切、竪堀・土塁等遺構もよく残り、保存状態も良い。本郭から大阪、神戸の眺望も良い。飯盛山が石垣の城として隅々に石垣や痕跡が残り、地域の人にも人気のあるのが良く分かる。「キャンピィだいとう」には続日本100名城スタンプや御城印もある。
飯盛山の名前は知っていてもこんなに大きな山城の遺構があるなんて知ってる人はそう多くはないのでは、信長以前に天下人と称された三好長慶についても全く不勉強…でも頂上からの眺望は大パノラマ河内平野から遠く六甲山系まで一望できるベストポイントです。色んな方面から楽しめる飯盛山です。
三好長慶のお城に行ってきました。先にご城印をもらおうと四条畷市民総合センターへ行ったのですが、こちらではないとの事。間違ってしまいました。続日本100名城スタンプとご城印は四条畷市立歴史民俗資料館の方です。ちゃんとたどり着き、スタンプを押印。そしてご城印を購入しました。飯盛城のご城印は四条畷版と大東版があって、二つで1つの絵になるそうです。これは大東市の方にも行かないといけないですね。まずは四条畷神社へ。由緒正しき神社のようで、しっかりとした管理が行き届いています。そこから右側に飯盛城へ続く山道があります。周りから見た感じだとすぐ登れる山城かなと思っていたのですが、これが結構な山城でした。真夏だったこともあり、登山者は全く見かけません。一人ずんずんと登っていきます。さすがに山は涼しくて良いですね。階段など整備されていますが、結構登るのは大変ですので、あまり軽装過ぎないことと飲み物はちゃんと持って登りましょう。山頂近くに石垣がありました。大東市のパンフレットがありますが、飯盛城は石垣を多用した山城だそうです。是非石垣ガイドをもらってから登ってください。野面積みでしっかりと積まれた石垣は、まだ戦国時代の頃なので珍しいのだと思います。本郭に展望台があります。こちらにパンフレットがあるので、もらっていない場合はこちらで頂きましょう。景色は綺麗ですね。ここからは大東市の方に向かって降りていきます。途中FM大阪のアンテナや千畳郭などがあります。下りは楽ですが、それでも山城。気を付けております。途中に池があり、その先に七曲り。石の排水溝もあり、しっかりと整備されていて歩きやすかったです。途中支城となる野崎城にも立ち寄り、大東市立歴史民俗資料館へ。飯盛城のご城印・大東市版を購入しました。そして、三好長慶手ぬぐいが300円。ちょうど手ぬぐいが欲しかったこともあり、こちらも購入しました。続日本100名城に選出されるだけある立派な山城でした。
南北朝期に陣城として使われ、戦国期に河内守護の畠山氏重臣である木沢長政が恒常的な城として築いたようです。その後、河内から畠山氏を逐った三好長慶の居城となり、反撃してきた畠山高政が紀伊や大和衆を率いて攻撃しましたが、三好勢に教興寺の戦いで敗れています。結局、畿内から三好勢を追い払った織田信長により廃城にされました。足に自信のある方は、各曲輪跡や石垣跡、堀切を見ながら散策するのがお勧めで、展望台からの大阪や淡路の眺めは一見の価値があります。
天下人の城でしたが、いまは山が残るのみです。ただし山全体に城があった様子は想像できて想像すれば楽しめます。野崎駅から野崎観音の裏に周り登るルートと、四条畷駅から四條畷神社の横を抜けて登るルートがあります。その他いくつがある模様。頂上に登ると西はあべのハルカス、南海なんば駅ビルなど見えます。北は京都大阪の街道、淀川が一望できます。この城は、河内の守護代木沢長政のものでしたが、三好4兄弟の長兄三好長慶に奪われて、以降は三好長慶の城になります。三好長慶は、阿波徳島の三好という山奥から管領細川家に仕え、細川家で出世し、主人の家を牛耳り栄達しました。その過程で、利用したのが吉野川の水運をつかい、また淡路島の水軍を手懐け、勢力を拡大しました。飯盛山城の北にも淀川があり三好家の勢力拡大に水は大きく貢献したのだろうと推測されます。三好長慶は、阿波(徳島県)から近畿に入り、紆余曲折を経て、飯盛山城に本拠を置きました。それでも、本拠地の阿波、讃岐(香川県)には弟の三好実休を配置し確実に後方を固め、阿波と大坂の中間の淡路島には同じく弟の安宅冬康に水軍を統率させ、制海権を確保しています。さらに阿波の対岸、泉州岸和田城(大阪府)には末弟の十河一存をいれました。阿波から飯盛山城まで確実に固めているとわかります。ちなみに息子の三好義興には、飯盛山城の北の芥川山城を譲り、南北から京大坂間の街道を抑える形を取っています。重臣の松永久秀には、大和(奈良県)を抑えさせ、その弟松永長頼には丹波八木城(京都府)を守らせました。三好家の支配地域は8カ国にのぼり、織田信長の前に天下を取った一人目の天下人といわれることもあります。もっとも、盛者必衰の理は三好家にも襲いかかります。織田信長が桶狭間で今川義元を倒した年の翌年、十河一存が30歳で急死します。そして、半年後には三好長慶の右腕と言われた三好実休が久米田の戦いで戦死します(37歳)。同時期に松永長頼も赤井直正に敗れて戦死します。そして、唯一の跡継ぎであった三好義興も25歳で急死すると、三好長慶自身も精神を病み、翌年に病死します。42歳でした。桶狭間の戦いから四年程度で屋台骨をことごとく失った三好家は、大きく力を落とすことになりました。それでも、飯盛山城で栄華を極めた瞬間はあったわけで、我々も登ることで三好長慶の心情の一欠片は知る由はあるかもしれません。登る価値のある山だと思います。
天下人の山城です。山頂からの見晴らしは素晴らしい。しかし、険しい山道が続き、もはや登山です。足腰が辛い方は登りだけでも、野崎駅からキャンプ場までのタクシー利用をお薦めします。
四條畷神社側から20分ほどで登りました〜登山道が整備されていて非常に登りやすいですね〜この時期は色んな生物に出会えるので楽しかった〜
| 名前 |
飯盛城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-870-9105 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.shijonawate.lg.jp/site/bunkazai-shiseki/1857.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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大東市の野外活動センター、キャンピィ大東から、登りました。キャンピィ大東の入り口向かいに、広い無料駐車場ありました。そこから30分程度のハイキング。楠公寺過ぎたあたりから、山道、木製階段になりました。足元、注意が必要です。ルートは多数ありそうで、道迷いしそうなので、ご注意を!!ルート次第では、ロープ使って登り下りするようは箇所もあり。