飯盛城跡の歴史を感じる。
野崎城跡の特徴
野崎観音のすぐ裏山に位置し、歴史を感じられる場所です。
畠山氏や遊佐氏に関連する城跡で、歴史解説も充実しています。
整備された山道を通り、短いハイキングが楽しめます。
野崎城は、慈眼寺(野崎観音)の裏山に築かれた城で、標高114.4mの山頂に本曲輪の削平地を構築しています。はっきりしたことは、わかってないそうですが、室町時代に畠山氏の居城と言われています。また飯盛山の東の支脈の突き出した場所で、平地が狭かったことから、交通の便、天然の要害で古くから戦略上の要点とされてきました。慈眼寺から飯盛山城に向かう登山道にこの野崎城が位置します。野崎観音の鐘撞堂の横から飯盛山登山口があります。南尾根コースの登り口になります。その後、飯盛山城の築城後には、飯盛山城の出城となっていたと考えられています。アクセスは、JR西日本 学研都市線 野崎駅 → 約10分 → 野崎観音 → 約10分。
慈眼寺(野崎観音)の裏山にある城で、標高114.4mのピーク部分に本曲輪(本丸)があります。楠木正行が河内・飯盛城に籠った際の1348年、北朝の縣下野守(あがた)が野崎城に陣を置いたとされます。その後、野崎城は畠山氏が飯盛山城の支城として築いた城だと考えられています(若江城の支城説もあり)。河内守護・畠山氏の内紛の際には畠山尚順が城主で、畠山義豊に攻められた記録がありますが、それ以外の詳細は不明です。飯盛山城の築城後には、飯盛山城の出城となっていたと考えられている。野崎城に関する築城、廃城が記載された文献は残されていないが、廃城に関しては、飯盛山城と同時期天正4年(1576年)ではないかと推定されている。御城印は近くの野崎まいり公園で購入できます。
野崎観音すぐ裏山にある城跡。飯盛山城の出城と言われている。標高わずか100mくらいの小山だが、都市部がとてもキレイに見渡せます。高い山まで行くのは体力的に…でも小高い山ならという人にはおすすめ。野崎観音に参拝してご利益を得て、清々しい心で登ってみては?
短編映画『天下人!三好長慶!』のロケ地としてよく使いました^ ^撮影にとても使いやすいです。夏は蚊が多いので虫除け必須です。
畠山氏が飯盛山城の支城として築いた説、遊佐氏が若江城の支城として築いた説があるようです。慈眼寺(野崎観音)から遊歩道が整備されています。
城跡だけあって見晴らしが良く、歴史的な説明も詳しく書かれているため、非常に分かりやすいです。
野崎観音から飯森城に向かう途中にあります。城跡と言っても特に何も残っていないです。
野崎観音から続く山道になっていて、ちょっとしたハイキングコースとして整備されています。かなり色々なルート選択が出来る様になっています。
2018年4月に訪問。飯盛城の出城と考えられているお城跡。15世紀中頃に築かれていたようです。飯盛山の突端に位置する場所なので、監視などする上で重要な場所であったのでしょう。慈眼寺から飯盛城を目指す途中にあります。
名前 |
野崎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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飯盛城の出城であった野崎城。飯盛城を下って行ったら野崎城址にたどり着きました。飯盛城がかなりの山城ですが、この野崎城は飯盛城の手前にある小さな山城。攻められた時にはここで一旦防いで、最後は飯盛城へと想定していたのでしょうか。あまり情報が無かったのですが、下ったところには慈眼寺という野崎観音がある大きなお寺もあり、そこから少し行ったら大東市の歴史民俗資料館があります。こちらには野崎城のご城印も売られていました。飯盛城のご城印を買うついでに野崎城のご城印もと言ったら、販売員の方が野崎城も買われるのかと驚いていました。あまり発掘も進んでおらず、有名ではない城なのでとのことでした。ご城印のデザインもかなり独特で、白黒のみ。これはこれで面白いかもしれません。