荻生徂徠の墓、歴史と静謐。
江戸時代中期の儒学者、荻生徂徠 (1666-1728)のお墓をご紹介いたします。最近、荻生徂徠の『政談』(講談社2013年)を読了しましたが、記述内容の所見は別にしましても、こうして300年の時を経ても読めていることの不思議を考えさせられました。何故なら、この『政談』は八代将軍吉宗の御下問に対する建白書であって、当時は絶対的に機密文書扱いの筈ではないですか。ましてや、文末に「御目を通されたら焼却を」とも附している訳ですからなおさらのことです。吉宗が亡くなってから80年も経った天保期(1830~1844年)になって、江戸の儒者中西忠蔵によって刊行された『拙修斎叢書/せつしゅうさいそうしょ』に、頼山陽『日本外史』・荻生徂徠『政談』・新井白石『読史余論』・尾藤二洲『静寄軒文集』などが木版活字化されているのです。なぜ刊行できたのかは明らかになっていませんが、その活字本は幕末まで数回も重版されて徂徠が脱稿してから300年のときを経ても、その間の才知ある方々のお陰で現代でも読めているのです。その端を発した中西忠蔵を調べたくて、何か手掛かりがないものかの気持ちで徂徠のお墓がある浄土宗長松寺に来てみたのです。当然ながら、徂徠の墓石が何も語る訳はないのですが、しかし来てみて感じるものがありました。それは「実のところ、焼却されないで昌平坂学問所の書院にお蔵入りだったのではないか・・・」と。ちなみに、墓石の裏側に全容を判読できませんでしたが、書家松下烏石の賛が彫られているのです。両者の関係性は分かりませんが一つの発見ができたことに満足しています。なにか手掛かりになるかもしれません。(笑)こうして、古(いにしえ)を訪ねる散歩は楽しいものです。ご興味ある方はお出掛けください。地下鉄の白金高輪駅2番出口から桜田通りを魚藍坂交差点を過ぎて1分も進めば右側に在ります。
| 名前 |
荻生徂徠墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
長松寺の中に江戸時代の最大の儒学者であり、文学、芸術、兵学、朱子学、法律、教育、民族学の大家、荻生徂徠の墓があります。名は雙松(なべまつ)、字は茂卿(しげのり)、通称惣右衛門、徂徠はその号だそうで物部氏の出を称し物茂卿と自署したそうです。