饒速日命墳墓、歴史を感じる道。
饒速日命墳墓の特徴
饒速日命墳墓はほうじさしの竹杭を目印にアクセスするスポットです。
生駒市の境界線上に位置する、難易度の高い隠れた歴史的名所です。
大和建国に絡む神話の重要な伝承地としての役割を持っています。
私にとって、この饒速日命の墳墓がある桧窪山は、ただの史跡ではなく暮らしの一部であり、山の一角を管理させてもらっている馴染み深い場所です。この場所に、日本の建国神話における重要人物が眠っていると伝えられていることに、不思議な感慨を覚えます。この場所に眠るとされる饒速日命は、神武天皇以前に磐船より天降り、周辺地域を治めていた天孫でした。そして、神武天皇に抵抗した豪族・長髄彦は、家臣であり義理の兄でもあったとされています。『日本書紀』『先代旧事本紀』から饒速日命の多様な人物像を読み解くと、この山の静寂が苦悩を背負った神の魂を鎮めているかのように感じられ、より一層感慨深いものになります。私の知る歴史は、さらにこの場所を奥深いものにしています。ここが饒速日命の墳墓であるという伝承は、実は古代から継承され連綿と続くものではなく、大正3年(1914年)に「金鵄会」という地元の顕彰団体によって、その著作『金鵄発祥史蹟考』の中で特定された、比較的新しい歴史を持つということです。古代の神の墓でありながら、その伝説が生まれたのは近代に入ってから。この二重の歴史を知ることで、この場所への愛着は一層深まります。ここは、神話の物語と、郷土を誇りに思った近代の人々の情熱、そして今を生きる私たちの営みが重なり合う、特別な空間なのだと感じています。これからもこの山の豊かな物語を大切に守り、次の世代へと伝えていきたいと、塚の前で改めて思いました。なお私の曾祖母が子どもの頃は、この山でも松茸がよく採れたとの事です。明治14年頃の南田原村誌によると、松茸は大阪に出荷するために収穫されていたようです。
矢田丘陵を歩きにいった際、出会いました。白庭台駅から北回りで、桧窪山・山頂に向かうルートにて入山。桧窪山・山頂裏の鉄塔の、金網伝いに歩いていたら、突然、出会いました。お花も交換されていて、誰かが大切に御参りされているようです。
書き込みくださった方々のおかげでたどり着くことができました。最初、白庭台側から行こうとして、鍵の閉まった門ばかりでした。ここの書き込みを見て南側からの経路で歩いて約10分、良い山歩きの後、墳墓にお参りすることができました。途中に火の用心の立て札があり、「ニギハヤヒ」と案内してくれてました。ありがとうございました。
ニギハヤヒノミコトのお墓と伝えられている墳墓です。日本の歴史書では聞いたことのある名前ですがここにお墓があるとは思いませんでした。ここに来る道のりも公式では無く地元のの人でも知る人ぞ知る場所のようです。行き方は他の方も説明していますが「生駒市立総合公園体育館」を目指し「テニスコート駐車場」に駐車したら階段を上って「サッカー場」の端から山道に入ります。赤白の鉄塔を目標にして歩いて行きます。迷いはしませんがコンパスが有れば心強いかも知れません。北を目指すだけです。山道は所々分岐していますが一番踏み固めている道を10分ぐらい歩けばたどり着けます。帰りもテニスコートの横にある赤白の鉄塔を目標にすればいいです。足元は運動靴をお勧めします。雨の日は滑りやすいかも。戻ってきたとき山道を歩く格好ではない団体さんとすれ違いましたが信仰を集めている場所のようです。
2024年8月17日に参拝しました。物部氏について調べていたため、訪ねてみました。生駒市総合公園テニスコートの駐車場に停めさせていただきました。そこからサッカー場に進み、林間遊歩道を歩きました。たまたま、グランドでお会いしたご老人に饒速日命の御墓の場所をお尋ねしたところ、ご親切に途中まで案内してくださいました。ご老人から「赤と白のツートンの鉄塔を目指して進む」と迷わずに行けると教えていただきました。また、火の用心の赤い看板が、途中に立っています。その看板に小さな文字で「ニギハヤヒの墓→」と書かれており、矢印の方向に歩いて行くと辿り着けました。日本神話に登場する饒速日命は、天照大御神の御孫であり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の兄です。天照大御神から十種の神宝(トクサノカンダカラ)を授かり、天磐船で河内国哮ケ峰(タケルガミネ)に天降られました。その後、再び天磐船に乗船して、大和国矢田の里へ降臨したとされています。神武天皇の東征(東遷)の以前に大和国を開拓した神様です。饒速日命を信奉していた長髄彦は、神武天皇の東征を拒もうとして敗れます。饒速日命は、長髄彦の妹である登美夜毘売(トミヤヒメ)を娶り、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)をもうけました。宇摩志麻遅命は、長髄彦に神武天皇へ帰順するように諭しますが、長髄彦は聞き入れず、斃されました。宇摩志麻遅命は、神武天皇のもとで重要な役割を担うこととなり、物部氏の先祖となりました。長髄彦と神武天皇が戦った時には、既に饒速日命は、没していたと考えられます。つまり、この地に饒速日命を葬ったのは、妻である登美夜毘売や息子の宇摩志麻遅命、そして信奉者であった長髄彦たちだったと思われます。変哲もない雑木林の中に、葺き石のように小石が積み上げられていました。埋葬地として、なぜ、ここが選ばれたのか不思議に思えましたが、古代では、長髄彦の本拠地だったようです。
日本神話に登場する、ニギハヤヒ命の陵墓が、こんな所に在るのを初めて知りました。日本神話に登場する神様ですのでもっと知られても良い旧蹟かと。とにかく分かりにくい所に在ります。現地に行っても案内板を始め何一つニギハヤヒ命の墓が存在ある案内がありません。正に人知れず存在すると言った感じです。地元の方も知らない人も多いかと。生駒市ももっとピーアールすれば良いのに。行き方としては、白庭台駅付近から山中にわけ入るより、皆さんおっしゃる通り生駒市総合運動公園敷地内より行くのが良いでしょう。運動公園内にあるテニスコート(駐車場の在る所)南にある階段を登ると、大きなグランドがあります。グランド左側に歩いていくと、フェンスの切れた所から、山中にわけ入る山道があるのでそのまま進みます。この山道は、関西電力の鉄塔を管理するする為の管理道のようです。途中、何度か分岐があるんですけど、山火事防止の立て看板の所に、誰が書いたか分かりませんけど手書きで、ニギハヤヒ墓→と案内されてますので、その看板を見落とさないようにすれば迷うこと無くたどり着けるかと思います。普通に歩いて20分程度かと。後、車で行かれる方の注意点として生駒市総合運動公園の営業時間9時~やったかな?それまではゲートがあって、車は駐車場に入る事が出来ませんので注意して下さい。帰りも遅くなるとゲートが閉まってしまいますので、車が出られなく恐れがあります。生駒市総合運動公園の営業時間内に行く事をお勧めします。徒歩の方は、24時間出入り可能です。
地図ではすぐそこにあるのに・・・・公園を目指せと行くとこの辺り、それなりの規模の大きな公園が各所にあり、何処からでも進入路が有りそうで無い。まず、生駒市総合公園テニスコートを目指してください。階段を登ると大きなグラウンドが有り、皆が言う土俵のあるグラウンドです。テニスコートの裏側に通じる細い道があります。そこが入り口です。
この口コミ見てからでないと多分たどりつけない難易度高めのスポットです。入口は口コミにある写真見て入りましたが、入口の説明としては単純に総合公園グランドの正面奥という方が分かりやすそう。山道に入ってからは分岐点が二ヶ所あり、左、右で行ったら辿り着けました。お墓にはお供えが添えられてましたが、割りと最近の物のようで定期的に訪れる人がいるのでしょう。来た道を戻らず、そのまま進んだら白庭台のマンション群の上の見晴らし公園の上にたどり着きました。
石積みに石碑がある小さい古墳のような感じです。森の中に急にあるので、厳かな雰囲気があります。生駒市総合公園の駐車場から歩いて15分位です。土俵のある大きなグランドの一番奥(角?)に入口の小道があります。鉄塔沿いに行きます、途中分岐がいくらかあります、が遠目に見ると行き止まりだったり、鉄塔の整備用?感があるので避けて、多少登り降りすると、白い石積みが出てきます。暗いと不安になる森ですが、喧騒から離れたい時に落ち着けるかも。
| 名前 |
饒速日命墳墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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饒速日命についての説明は他の方が詳しくされているので、こちらへのアクセスについて。写真に説明を記載しましたのでそちらを見て頂くと迷わず辿り着けると思います。周辺には運動場利用の方しかいませんので、運動せずに脇道に入っていく人はちょっと不審者に思われるかもですね(笑)