歴史感じる静寂、片埜神社。
片埜神社の特徴
枚方市の中規模神社、片埜神社は静寂の中に歴史を感じられます。
本殿は重要文化財で、豊臣秀頼が再建した由緒ある神社です。
恵方参りや学問の神様として地元に愛されている神社です。
とても静かで癒される場所です。鬼封じの神社とも呼ばれているらしく、般若のお面像があります。お参りされる方もパラパラと地域の方に崇拝されているんでしょう。御朱印頂きました。
牧野駅の待ち合わせに1時間以上も早く着いてしまった。何処か時間を潰せる所は?とグーグルマップを見てみると「伝・阿弖流為、母禮の塚」の文字が🤯❗️これは見ておかないと!現地に着いてみると「片埜神社」の札が🧐。てっきり岩手県のアテルイゆかりの神社かと思いきや、辺りを見渡すと鳥居が目に留まり、せっかくだからお参りして行こうと訪れたのが「片埜神社」でした😳。「かたの神社」と読みます。現在の住所は枚方市ですが、もともと「河内国交野郡」の鎮守神です。「一之宮」と有ります。「河内国の一の宮は枚岡神社だったはずでは?」と思い御朱印を頂く際に尋ねてみました。宮司さんは「神社の社名が一之宮です。よく調べないで河内国一の宮だと枚岡神社と並んで掲載されるサイトが有るのですがもう諦めました。狛犬の台座にも河内国一宮ではなく河内一宮です。国が付いていません。」と話されていました🤔。待ち合わせに遅れる! 戻らなければ。後ろ髪が痛い😢。
大阪府枚方市牧野阪2-21-15にある片埜神社「かたのじんじゃ」です。片埜神社正門(南門)は、桃山時代のもので俗に赤門と呼ばれ、豊臣秀頼の寄進と伝わっています。大阪府の文化財の指定を受けています。片埜神社東門は室町時代の様式を伝える黒門と呼ばれています。こちらも大阪府の文化財の指定を受けています。朱漆塗の本殿は桃山時代の様式手法で国の重要文化財の指定を受けています。周りの住宅に囲まれるようにひっそりと建っています。枚方市では唯一、十日戎が執り行われています。節分際では、「福は内、鬼も内」と言って豆がまかれます。鬼門を封じる神を「より強い鬼」として、その鬼が他にいかないようにする為です。天正11年(1583年)、豊臣秀吉公により大坂城鬼門鎮護の社と定められてからは、方位鬼門除けにも霊験あらたかな社と世に知られ、慶長7年(1602年)には豊臣秀頼公による本殿等の寄進大造営があった。アクセスは、京阪牧野駅🚉から徒歩5分です。牧野公園の隣りにあります。
鬼の神社。由緒ありそうな建物がある。前は小さい公園、ひっそりと荘厳な雰囲気。御朱印をいただく。以下、ホムペより御祭神建速須佐之男命 菅原道真公 事代主大神 他九柱社伝では、11代垂仁天皇の御世、出雲の野見宿禰命が当地方を拝領した折、建速須佐之男大神をこの地にお祀りして土師氏の鎮守としたのが草創で、29代欽明天皇の御世に「片野神社」の社号を賜って交野郡の産土社となった。延喜式(927年)では式内小社に列され、天徳4年(960年)に土師氏の出である菅原道真公を併祀、平安時代後期には社名を「一宮(いちのみや)」と改めた。鎌倉・室町期には元弘の変や、三好・松永の戦いなど幾度かの兵火に罹り、荒廃と再建を繰り返した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉公により大坂城鬼門鎮護の社と定められてからは、方位鬼門除けにも霊験あらたかな社と世に知られ、慶長7年(1602年)には豊臣秀頼公による本殿等の寄進大造営があった。明治時代に近隣諸社のご祭神を合祀申し上げ、社名をもとの「片埜神社」に復して現在に至っている。文化財・御本殿・棟札(桃山時代・国指定重要文化財)・正門(桃山時代・府指定文化財)・東門(室町時代・府指定文化財)・石灯篭1基(鎌倉時代・府指定文化財)
創建が三世紀後半から四世紀前半の大変由緒、歴史ある神社です。また大阪城からの鬼門の方角にあたる事から豊臣秀吉が再建したそうです。
1/9〜11は十日戎でした。片埜神社は京阪本線牧野駅から徒歩10分くらいです。お祭りの時は幟が立ちます。私は11日にお参りに行きましたが、時間もお昼過ぎとあって人もまばらでした。手水鉢の花がとても綺麗でしたよ!ここは金額に応じて、箕の中に御札や宝物が色々入っているもの、笹に沢山の宝物が下がっているもの、種類が豊富でした。私は写真の笹飾りを頂いてきました!商売繁盛、いいことが沢山ありますように。
枚方市牧野地域を代表する中規模の神社。祭神には菅原道真が名を連ね、豊臣秀吉にも縁があり、本殿・棟札は国指定重要文化財という由緒を持つ。正門が住宅街の狭い路地、裏門が表通りに面してる為裏門から参拝する人が多く、特に混雑する初詣時には裏門に列が出来るので、正門から来た人は一度境内を通って裏門から並び直す事になる。5~6台程度置ける駐車場あり。
一之宮神社駐車場目の前で無料見たかった鬼の面、また立ち寄りたい恵比寿様。
河内國一之宮と云ふより河内國交野郡一之宮と云ふべきか? それは置いといて、規模は小さいながら桃山時代の殘り香がある、重要文化財にも指定されてゐる神社です。立ち寄る價値あり。
| 名前 |
片埜神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-857-7775 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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片埜神社(かたのじんじゃ)。大阪府枚方市牧野阪。式内社(小)、旧郷社。<合祀>久須々美神社 鍬 河内国 交野郡鎮座 【祭神】久須々美大神(熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)と同神)【祭神】建速須佐之男大神(配祀)菅原道真櫛 稻田姫命 八島士奴美神(合祀)天照皇大神 品陀和気命 天児屋根命 品陀和気命八幡大神 久那戸神 久須須美大神 事代主命【関係氏族】交野忌寸(かたのいみき)古代に渡来人であった「漢人庄員(あやひとしょういん)」という豪族に、天武天皇が与えた姓(かばね)です。この姓を賜った一族は、交野(かたの)の地で機織りの技術を興したとされ、交野地域に深く関わる歴史的な存在です。資料によると、神社の南側を流れる穂谷川の流域は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡の点在するところで、一、二世紀ごろより拓けた地域であつた。往古、この附近は交野ケ原と呼ばれ、王朝時代大宮人の遊猟の地として歌枕になり、 また、桜の名所で世に聞こえたところでもある。『新撰姓氏録』河内国諸蕃に漢人庄員を出自とする「交野忌寸」が登載されており、この渡来系の氏族が祖を祀ったことも考えられます。交野郡と言う郡名を社名としていることからも(片埜)、当地を開拓した人々が祖を祀ったのが当社であると考えるのが妥当ではないかと思われます。社伝によれば、垂仁天皇の時、野見宿彌が当麻蹴速(タイマノケハヤ)を角力で破った功によりこの地を賜って、須佐之男命を祀ったとある。その後、欽明天皇の勅により「片埜神社」と号した。豊臣秀吉は大阪築城の際には艮(東北)の方位にあたる此の社を、鬼門鎮護の社と定めて尊崇した。古くから「一の宮牛頭天王」と称されていた。とあります。