大手三の門で歴史を歩む。
同心番所の特徴
同心番所は大手三の門の警固をしていた歴史的な場所です。
かつての大名が籠を降りた下乗門の重要な役割を果たしていました。
姿を変えずに残る番所は、歴史愛好家にとって貴重な資料となっています。
同心番所は、大手三の門の内側にありました。大手三の門(本丸大手門)は、大手門から三の丸尚蔵館の前を過ぎた正面のところににあり、本来は枡形門で、両側は水堀でした。ここを駕籠に乗ったまま通ることができたのは、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家だけで、それ以外の大名はここで降ろされ、検問を受けました。このことから、この門は下乗門とも呼ばれました。同心番所には、大手三の門を警固する与力・同心がつめていました。同心とは、江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭などの配下に属し、与力の下にあって、庶務・警備の仕事をしていた下級役人を総称したものです。同心番所の屋根瓦の一番高いところには、徳川家の葵御紋の妻瓦があり、軒先は普通の三巴紋の瓦となっています。現在、江戸時代後期のものと思われる建物が修理復元されて残っています。
「千代田:同心番所」2024年5月に訪問しました。江戸城は重要な施設だっただけあって警備も凄く大規模です。この建物には「同心」と呼ばれる武士が務めていたそうです。同心(どうしん)は、江戸幕府の下級役人のひとつで、与力の下にあって庶務・見回などの警備に就いたそうです。身分は足軽階級の者が当てられたそうです。この番所を先に進み、どんどん本丸に近づくにつれて武士の階級が上がっていきます。
2024.1 諸国の大名も、この番所の前にあった大手三の門で籠を降りなければならなかった為、大手三の門は下乗門と呼ばれていたとの事である。駕篭に乗ったまま通る事ができたのは徳川御三家のみとの事だ。
| 名前 |
同心番所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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大手三の門を警固していた番所。与力の下で警備を行っていた同心が検問を行っていた。御三家や例外を除き、ここで駕籠から降りなければいけないため下乗門と呼ばれた。かつては蛤濠と天神濠がつながっていたため、手前には堀をわたる橋があった。