祇園祭を支える神社の歴史。
綾戸國中神社の特徴
綾戸國中神社は祇園祭に欠かせない神社です、歴史の深さを感じます。
室戸台風で倒壊後、昭和11年に再建された社殿は独特な形状を誇ります。
JRから歩いて10分、東海道新幹線の近くに位置する便利な神社です。
車では行きにくい神社です。普通にいい神社です。祇園祭と深い関係があるとのことで、距離的に考えるとちょっとびっくりです。神様の関わり方などを考えたら必然なのでしょうか。線路の音が響くのはつらいところだと思います。2025.04~追記駐車場がひっそりとありました。ゴミ捨て場みたいな感じでしたが、ちゃんと停められます。外から見るよりも、実は奥深くボリュームがしっかりとある神社です。
神社の規模の割に拝殿が立派です提灯がたくさん飾られていました。
車で走ってて発見。次回ゆっくり参拝に上がります。御朱印を受けたかったのですが、社務所らしきお宅がありました。稼働時間らしかったのですが呼んで良かったのか分からなかったので、また次回に…
桂川駅東口から徒歩10分程 新幹線側にある社務所は土日祝:9-12時 平日:13-16時(2023年掲示物による)平日は1月以外 月水金のみで他は休み?ホームページはあるが令和元年以降更新なく17時まで、と思ってきたら社務所が開いていないという結果になる毎年1月に開催される乙訓鎮座神社巡りの一番社で 1月中であれば当社に加え他3社の御朱印が頂ける(朱印のみ)休日にこの神社巡りをする場合ここから始めるといい 次の菱妻神社へは桂川駅からバスが便利正式名はアヤトクナカ神社らしい クニナカではない。
祇園祭は八坂神社のみの祭礼と思われていますが、実はこちらの綾戸國中神社との祭礼です、八坂神社の祭神、素盞鳴尊(スサノオ)はこちらの國中社の素盞鳴尊と一体となる事で本来の姿となるとされています、なので國中社の稚児が、八坂社の本殿に昇殿して祭祀に臨み八坂の神と合一します、稚児は神そのものとされている為、皇族や注連縄を切る長刀鉾の稚児さえも脱靴する社殿内でも、一歩も地に足を着けず祭祀を挙行します本殿は一間社流造ですが、左に綾戸宮、右に國中宮と一つの建物に二神が共存しています、これは室戸台風により社殿が倒壊したので、昭和十一年に現在の姿で再建された為、更に東海道新幹線の開通により、神社そのものが東に移されるという、中々苦難の歴史を歩んでいます新幹線開通により社務所と社殿が線路の東西に分断されていますので、御朱印貰うにはガードをくぐる必要があります。
御神体は全国的でも稀な駒形(馬の首の彫り物)で、競馬の馬主や騎手からの信仰の厚いお社、又、祇園祭の神幸祭・還幸祭には欠かせない久世駒形稚児はこちらのお稚児さん、稚児は駒形を奉納することで神そのものとされた。神社の起源は桂川を神として祀る綾戸社だったそうだが、後に蔵王の社(蔵王堂光福寺)の社地にあった國中社を戦国時代に移築され統合した。この國中社に牛頭天王(素戔嗚尊)がお祭りされていた為、祇園祭と関係があるのだろう。
JRから徒歩10分くらい。祇園祭には欠かせない神社と聞いた時には、失礼ながら驚いたけれど、すごく素敵な空間でした。
御祭神:綾戸神社に大綾津日神、大直日神、神直日神/國中神社に素盞嗚尊綾戸神社の創建は継体天皇15年(521)と伝えられ、かつては大井川(桂川)の祓神として大井社と称していましたが、天暦9年(965)に綾戸社に改称しました。また、延喜式神名帳に記載の「山城國乙訓郡 茨田神社」あるいは「大井神社」の論社の一つと言われています。國中神社の創建は不明ですが、社伝によれば、附近一帯が湖水に覆われていたころ、素盞嗚尊が天降って水を切り流し、その中心に愛馬(天幸駒)の頭を彫刻したものを尊の形見として祀ったのが起源です。また、國中神社は延喜式神名帳記載の「山城國乙訓郡 國中神社」の論社の一つと言われています。両社が同じ境内に遷座し、綾戸國中神社となったのは戦国時代からです。拝:2020/11/07
それほど大きくない神社ですが、大変由緒の有る神社のようでした。前は車が沢山通る場所ですが、一歩中に入るとひっそりしていました。
名前 |
綾戸國中神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-921-3388 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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京都の夏の風物詩を代表する祇園祭り。起こりは平安時代都を揺るがした疫病を鎮める願いでした。八坂神社との深い関わりを知りました。祭りに大変重要な駒形稚児は現在もこの綾戸国中神社の氏子衆の中から選ばれます。駒形稚児の到着なくして山鉾巡行は一歩も前へ進んではならないとされています。お祀りされている素戔嗚命(スサノオノミコト)の和魂と当社の荒魂が一緒になる事を意味します。そうして綿々と疫病退散の願いは受け継がれてきました。この地は信仰の始まりを示しています。秦氏の功績に桂川大井堰の建設があります。暴れ川を鎮め豊かな土地へと変わりました。今日の京都の礎を築きました。