幕末ロマン漂う角屋訪問。
久坂玄瑞の密議の角屋 碑の特徴
久坂玄瑞が勤王の志士として活躍した場所である。
江戸時代初期から続く、幕府公認の遊廓がある史跡です。
新撰組の刀傷が残る、幕末のロマン漂う佇まいです。
久坂玄瑞といえば勤王の志士、長州藩の勇士。その彼が密議を繰り返していたのが島原の角屋だ。最後は御所内への突入に失敗、自決する。先の先を読み過ぎたための悲劇だった。角屋の一角に密議の碑がひっそりとある。日本の未来を読み切った久坂に合掌する。
角屋の角にある。
久坂玄瑞と言えば若くして禁門の変で散った長州藩士、吉田松陰いわく長州の俊才として評され、真木和泉らと石清水八幡宮の本営で最後の会議後、京都の御所、あの蛤御門に。尊皇攘夷運動の先頭に立った久坂、西郷隆盛が援軍に来る迄は勝利目前だった😢敗戦の後は自軍兵士に、撤退せよ! 見届けた後自決。因みに、真木和泉守は天王山の17烈士の墓、久坂玄瑞は東山の護国神社に5烈士と眠る。西郷隆盛の遺訓にも「ああいう先輩方が早く死なれた為に俺のような者が偉そうに言われるは恥ずかしゅうてならぬ」とあり、人格が解る。もう一つ、この久坂玄瑞は長身で男前、井筒タツという美人芸妓と親しくなり、息子が生まれる。そして今もその子孫が…ええ話や✨
ここ島原・角屋は江戸時代の初期に幕府公認の遊廓として始まりました。依頼、歓楽街として昭和の中頃までは栄えた地でした。維新の時代、多くの志士たちが日本の未来について語らい、斬り合った場所でもあります。
不気味な夜。日没後にそこに行くべきではありません。(原文)Creepy In the night.Should not go there after sunset.
なかなかイイ佇まい。入った事は有りません。
幕末ロマンですね❗内部見学できるそうです🤗
新撰組の刀傷があったり尊皇派が暗躍したり。
久坂玄瑞は、島原桔梗屋の芸妓である辰路(9たつじ;1846年 - 1910年)とはとなじみ深く、久坂玄瑞の息子・秀次郎は辰路との間の子であるともいわれている。
名前 |
久坂玄瑞の密議の角屋 碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si020_frame.html |
評価 |
3.9 |
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島原大門から西に進むとある表示盤。