特別公開、心落ち着く池泉庭園。
東福寺塔頭 即宗院の特徴
幕末の薩摩藩の隊士を弔う石碑があり、歴史的な深みを感じられます。
池泉回遊式庭園は紅葉時期に特に美しく、訪れた人を魅了します。
特別公開時には静かな雰囲気の中、写経の体験も楽しめる貴重な場所です。
偃月橋を渡って右側の即宗院門の手前付近までしか近づけなかったですが、 建物・前庭ともに素敵な佇まいです。こちら側には殆ど人が来ないので、 ゆっくり静かに 凝縮されたスペースの美しさを堪能しました。
東福寺の塔頭寺院。通常は非公開ですが、紅葉シーズンになると公開される年があります。池の水面に写る紅葉は、東福寺の中でも特に絶景です。ただ近年は庭園内に入ることは禁止されていて、代わりに屋内から庭園を見られるようになっています。裏山に、西郷隆盛が立てた東征戦亡の碑があります。江戸時代末期の東福寺は薩摩藩が接収していたので、東福寺には薩摩藩関連の施設が多く残っています。確か西郷隆盛が月照と密会していたのも、即宗院境内でした。
広くはありませんが、お庭が美しく整えられてます。東福寺境内でありながら人がほとんどおらず、座ってゆったりと景色を眺められます。徳川慶喜や西郷隆盛の書が飾られており、山へ登って行くと西郷隆盛直筆の石碑もあります。
東福寺の方丈の右の通路を進み、橋を渡ると即宗院があります。こちらの庭園は、月輪殿と呼ばれる山荘の跡地だそうです。現在は、京都市の史跡に指定されています。雨が降っていたので、庭には入ることはできませんでしたが、建物から見る庭は綺麗でした。明治維新の際に、西郷隆盛が隠れていた裏山から、大砲を打ち幕府軍に勝ったのだとか。西郷隆盛が自筆した薩摩藩士の慰霊碑がありました。
紅葉時期でしたが、9:00開門とのことで、30分くらいの待ちになりそうで、当日のスケジュールから拝観を断念。1387年薩摩島津家の菩提寺として創設された。
普段は非公開秋の頃に特別公開がある境内は書院とその前にある池泉回遊式庭園が見どころだが奥の小山を登ると、幕末の戊辰戦争で戦死した薩摩藩の隊士を弔った石碑が鎮座隊士名の墓碑は、西郷隆盛が書き記したものだという。
薩摩藩に縁の有るお寺です。赤千両、黄千両が栽培されています。
20年12月2日に訪れました。「東福寺」方丈庭園から徒歩2、3分の距離で、渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」にかかる木造橋廊「偃月橋(偃月橋)」を渡っていきます。山門の左右に石造りの仁王像が安置されています。平安時代後期、関白・藤原忠道はこの地に御所の東御堂を建立さました。忠道の子、兼実は山荘「月輪殿」としました。『即宗院』庭園は「月輪殿」の跡地です。「紅葉と杉苔」の美しさには定評があり、冬には赤や黄色の「千両」の実が見られます。今回は建物の中からお庭を拝観しました。(庭園の中は立ち入り禁止でした。)建物の中にイスが用意してあってゆっくりお庭を堪能しました。
東福寺の裏、西郷隆盛が祀られてる。
名前 |
東福寺塔頭 即宗院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-561-9200 |
住所 |
〒605-0981 京都府京都市東山区本町15丁目 813番地 |
HP | |
評価 |
4.3 |
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令和4年 11月28日京都🌿🍂🍁の旅即宗院即宗院は、東福寺の塔頭(たっちゅう)。臨済宗東福寺派。元中4年(1387年/北朝の嘉慶元年)に島津氏久の菩提のために剛中玄柔を開基として、東福寺山内の南に創建されたのが始まり。永禄12年(1569年)に焼失したが、慶長18年(1613年)に島津家久によって現在地に再興され、以来、薩摩藩の畿内菩提所となった。