西条八十の功績、蟹柱に触れる。
碑と説明板があり、下のように書かれていました。武蔵野なりしこの里の昔のすがた偲ばせて小畦の花のむれと咲くビルのネオンの赤き花西条八十(1892~1970)東京で生まれ、早稲田大学英文科を卒業後、白秋らの新誌社で、象徴主義詩を数多く発表する。繊細巧緻で神秘的な作風が市の特徴である。大正末からは歌謡曲の作詞にも才能をあらわし、「東京音頭」、「王将」などで人々に広く親しまれた。
名前 |
西条八十詩碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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デカい蟹のハサミのような2つの柱が伸びてるのに気がつき、古ぼけた説明版を読むと西条八十の功績を讃え、早稲田大学を卒業し区内に住んでいたご縁でこのオブジェを建てた模様。刻まれているのは新宿にまつわる詩をとり、カニバサミ見たいのは伸びゆく新宿の街が若葉のように伸びていくという内容をモチーフにしたらしい。八十が亡くなった1970年は新宿三丁目あたりまで伸びていた路面電車の都電が廃止になったので、彼が詠んだ新宿は今から想像もつかないくらい違う様相をしていたはずだ。童謡のカナリヤや肩たたきを口ずさむ子どももとっくにいなくなり、青い山脈や映画、人間の証明のぼくの帽子なんて有名な一節も過去のもの。歌は世に連れ人に連れ、この説明版がいずれ取り壊しますかとなってもなんら不思議ではないくらい昭和は遠くになったことを感じさせる。説明版の里の漢字に横棒をイタズラに加えて星にしてしまった人、ナイス!