京都御苑の静かな幸せ、宗像三女神の祈り。
宗像神社の特徴
宗像三比女神を御祭神とする、歴史ある神社です。
京都御苑内にひっそりと佇む、落ち着いた空間が魅力です。
御神木のクスノキが印象的で、心地よい雰囲気を提供しています。
京都市上京区の京都御苑内に鎮座しています。主祭神は、宗像三女神である多紀理比売命(たぎりひめのみこと)・多岐津比売命(たぎつひめのみこと)・市岐嶋比売命(いちきしまひめのみこと)です。アクセス:地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車、徒歩5分、市バス「烏丸丸太町」下車、徒歩5分。隙間時間に参拝しましたが、京都御苑は砂利道なので、カートの運搬が無茶苦茶きつかった(汗)。
都の御所の敷地内に鎮まります宗像神社さま九州に鎮まります宗像大社さまを勧請為されました神社さま宗像三比女神を御祭神としてお祀り成されて居られます、此の比女神さまは厳島神社の祭神と致して八幡宮さまの比女神さまとしてお祀り成されてございますよ、神さまは御心廣く崇める人々をお見守り致してくださってございます。崇める人は報われますよ。
御所周辺には神社いくつもあります。宗像神社もその一社です。
こじんまりとしているが落ち着く場所。ご神木が飾られていたりします。宗像神社といえば世界遺産になった九州の宗像神社ですがご神体は当然同じく3女神様。
【宗像神社】2023.9.11天神公園前バス停から9系統の市バスに乗って堀川丸太町で下車。交差点を移動して、名前は同じ堀川丸太町のバス停から202乙系統の市バスに乗って、烏丸丸太町で下車。歩いて、京都御苑内の宗像神社に9時35分到着しました。京都御苑の中に神社があることを知り行きたくなりました。また、境内に少将井神社や京都観光神社があることを知り、ますます興味を引かれました。宗像神社は、藤原冬嗣が筑紫の宗像神社を勧請した神社で、子孫の花山院家の守護神となったそうです。少将井神社は、 かつて中京区の少将井町と少将井御旅町の間にあった八坂神社の御旅所を遷祀したものです。京都観光神社は、昭和44年に観光業者の発案で観光客の安全息災と業界の発展を祈念して、道案内の神として勧請創祀したものだそうです。このほか境内には、花山稲荷神社・繁栄稲荷神社・金比羅宮がありました。毎月1日と15日に社務所が開き、宗像神社・少将井神社・金刀比羅宮の御朱印がいただけるそうです。今回は、とりあえず社務所に掲示してあった写真を撮りました。
京都御苑の敷地内にある神社です。敷地内が広すぎて行き当たりばったりで出会しました。境内からお経が聞こえ、中で関係者が何かやっているのかと近寄ってみると一般の参拝者が永遠とお経のような物(お経ではない)を唱えてました。お経ベースのオリジナルの曲を唱えてました少し気味が悪かったです。
京都御苑の西南方にある3つの神社の中の一社。もともとは北家藤原氏の流れを汲む花山院(かさんのいん)家の鎮守社として邸内に祀られていました。ご祭神は宗像三女神に天石戸開神(あまのいわとわけのかみ)と倉稲魂神(うかのみたまのかみ)花山院家が相続しましたが,中世以降里内裏の周辺が公家町になるとともに京都御所の中に編入されました。明治天皇の東上により公家町は破却されましたが,この社は府社宗像神社として,邸内社から公許の神社として扱われるようになりました。御朱印は基本毎月1日、15日の10時から16時となりますので御朱印目的で訪れる方はご注意を。
22年4月25日に訪れました。『宗像神社』境内に「花山稲荷神社」、「京都観光神社」などあります。『宗像神社』の主祭神、宗像三女神は道を司る神様で、道路や海路、華道や茶道などあらゆる道の安全繁栄の守護神として信仰されています。「花山稲荷神社」は火伏せの神様、「京都観光神社」は道案内の神様、猿田彦大神が祀られています。御朱印は毎月1日、15日の10時~16時の間にいただけるそうです。「豊栄の庭」という小さな庭園が美しかったです。
地下鉄丸太町駅から5分、京都御苑の中にある3つの神社の内の1社。創建は延暦14年(795)藤原冬嗣が平安京の守護神として福岡県の宗像神社に神様の来臨を願ったことに始まり、その後、冬嗣の自宅に移り、藤原家の流れをくむ公家の花山院家が相続。ところが明治維新で東京へ引っ越し、今は府社となって残っている。境内には5つの神社と金比羅宮、ご利益は明確だ、海や陸の道の安全祈願や観光神社、繁栄稲荷とかね😃一番奥に宗像神社、宗像の神額が有り、宗像三女神を祀っています。普段は何もないが、歳時記が有り、調べてから行くと季節や音楽が楽しめる様です。
名前 |
宗像神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-231-6080 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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令和7年3月30日 京都御苑内にある宗像神社こじんまりした神社です。管理や修繕は難しいのか、廃れている部分や、剪定不足なところが見受けられます(;^ω^)明治維新まで長く花山院家の邸内社として崇敬されたが、明治に花山院家は東京に移転。しかし宗像神社は旧地に留まったとのこと。