聚楽第で歴史を感じる楽しさ。
梅雨の井の特徴
豊臣秀吉公が築いた聚楽第の東南隅に位置しています。
梅雨の井では地元の方から貴重な歴史の話が聞けます。
石垣を間近で見られる貴重な体験が楽しめます。
以前、看板を見て訪ねました。近所の人がこの辺りは家を建てる時に少し掘ると水が出たと話してくれました。(キレイな水がサラサラと)
梅雨の井に行ったら近所の方から話が聞けたり石垣を見せてくれたりして楽しかった。
豊臣秀吉が築いた聚楽第の遺構と伝えられている井戸跡です。この井戸の水で秀吉がお茶を点てたそうです。現状は荒れ果てています。
20年振りに行って来ました。以前行った時の面影は無く、荒廃した姿に唖然としました。隣接する家屋が無くなったのか、以前よりかなり広い印象を受けました。以前は南側の路地から覗ける狭い範囲が梅雨の井の跡地でしたから。20年前行った時にはあった、朱塗りの祠のあった辺りは倒木が積み重ねられていて祠は無くなっており、何の為に建てたのかと思ってしまいます。まぁ20年前の時点で嵌め込まれていたガラスが割れて散乱し、少し傾いていましたから。西側に井戸がありましたが、これが復元された「梅雨の井」?って感じです。と言うか、本来のそれは反対側だったはず。地域で管理されているわけでもなく、放置されていてこれが歴史的価値のある場所か?と思います。もっともバブル当時既にここは聚楽第の堀の中だと分かっていましたから、歴史的文化的価値など無いのですけどね。まぁ所有権の問題で誰も手が出せないだけかもしれませんが、今や単なる空き地です。あの時マンション建設に反対した地域住民は責任を持って管理すべきだと思います。無責任すぎます。これならマンションが建ったほうがマシだった。
場所が分かりにくい上に、ロープが張ってあり間近には行けない。またどちらかというと汚い感じ。
歴史がある場所とは思えない。
路地奥の空き地にあります。個人の所有地でしょうか。聚楽第の遺構ですが残念ですね。
名前 |
梅雨の井 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
2.7 |
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豊臣秀吉公が聚楽第「1585年」を築いたころから聚楽第内の東南隅にあったものだという。梅雨明け7日前から水が溢れ出し、梅雨明けと共に戻るところから、この名が付いたといわれ、茶の湯に最適の水だと秀吉の気に入りだったようである。駒札によれば、『豊臣秀吉造営するところの聚楽第の内にありし井戸なりと遣ふ。此地はもと聚楽第内部の東南隅に近き処にあたる。』近くには、御所から続く出水通り沿いにある井戸です。出水通りは雨がふったら、御所の前の烏丸通が冠水したと言うことか、出水通りの名前がついた場所です。聚楽第の濠跡で大宮下長者町の鍵状の辻から北に少し歩くと、民家の壁に手作りの「秀吉から四百年つゆの井跡」と書かれた小さな看板があり、その横の細い道を西に、すぐ右に曲がると、空地の片隅に「梅雨の井」の名残がある。聚楽第は竣工から8年で潰されましたので、遺構は、かなり少なく、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の唐門とこの梅雨の井しかありません。