静寂に包まれた八神社。
八神社の特徴
銀閣寺の北に静かに鎮座する八神社です。
鬱蒼とした境内に歴史ある八つの神様を祀っています。
大文字山の登山口前に位置し、霊験あらたかな場所です。
とても気の良い場所。静かにお詣りできます。お寺に行く外国の方は多いけれど、こちらはご参拝される方が少ないようです。とっておきの場所なので銀閣寺まで来たら外さないでね。
◾️20240815五山送り火の護摩木を納める為に銀閣寺にきました。銀閣寺脇にある、八神社にて、護摩木を購入し御先祖供養をお願いしました。大文字保存会と隣の浄土院が護摩供養をとり行うようです。
土曜日の2時過ぎに銀閣寺の帰りに行きました。あまり人もいなくて静かでした。浄土寺や銀閣寺の鎮守社で地域一帯の産土神として広く崇敬を集めているそうです。銀閣からすぐのとこにありました。一ノ鳥居をくぐると階段があり、登りきったら本殿がありました。五山の送り火の時にここから護摩木を運ぶそうです。赤い社殿の樹下稲荷社を過ぎると水の神様を祀る雨社があります。石段を上がると本殿がありました。5月にしては暑い日でしたが、木々が多く日陰があり涼しく感じました。観光客はほとんど見られずゆっくり参拝できました。
令和二年 京都初秋の旅 10月3日八神社境内には、人気はまったくありませんでした😅宮司さんが常駐してる感じもしません❗️地域の方々が信仰し、守ってきた神社なんでかね♪高御産日神、神産日神、他6柱を祀る。由緒等詳細は不明だが、ご創建は大同年間(806~810)とも延喜年間(901~923)とも伝えられる。浄土寺や銀閣寺の鎮守社であり、地域一帯の産土神として広く崇敬を集めている。御朱印はいただけず(⌒-⌒; )
主祭神:高御産日神/神産日神/生産日神/足産日神/玉積産日神/大宮売神/御食津神/事代主神相殿神:十禅師大明神創建の詳細は不明ですが、社伝に大同年間(806-810)と伝えられています。また、延喜5年(905)には山城国愛宕郡如意峰の神祇斎場所に、2132座の御神体を奉るという説もありますが、少なくとも室町時代に足利義政が東山殿を建てた頃には八神社として本殿二棟の東に八神、西に樹下社が祀られていた事が慈照寺所蔵の絵図によって判明しています。現在では当社は浄土寺一帯、慈照寺の鎮守として崇敬されています。拝:2021/11/16
銀閣寺の先にあり参拝いたしました。どなたもいらっしゃいませんでしたが大きな木があり素晴らしいところでした。
銀閣寺の北に一の鳥居があり、その奥に鎮座する。かつて銀閣寺(慈照寺)の鎮守であったが、平安時代は銀閣寺の北に隣接する浄土院の鎮守社であったという古社。創建は大同年間(806-810)か延喜年間(901-923)という。御祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、足皇産霊神、生皇産霊神、御饌津神、大宮乃賣神、事代主神の八柱。
21年6月1日に行ってきました。銀閣寺の総門前から鳥居が見えたため、行ってみました。『八神社』の歴史は古く、浄土寺地域一帯の産土神として祀られていた神社の社地に、延喜5年(905年)に現在、本殿に祀られている宮中八神殿の神々が祀られることになりました。その後八神殿は現在の吉田神社大元宮に移されましたが、『八神社』は引き続き八神殿の神々を祀ってきたと伝わっています。鳥居をくぐり、階段を登っていきます。途中に「雨社」「樹下稲荷社」があり、階段の上にご本殿がありました。山の中に入って行くような感覚がありました。
すぐそばにある銀閣寺の賑わいとは切り離された、静かなお宮さん。延喜年間、もしくは大同年間の創立と伝わるが、詳細は不明。高皇産霊尊をはじめとする八所大明神と十禅師を祀る。この付近にあり、応仁の乱で消亡した浄土寺の鎮守社だったが、現在は銀閣寺町の産土神として崇められている。21/02/23、参拝。御朱印を頂こうと社務所のインターホンを押したが、ご不在のようだった。
名前 |
八神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-771-5159 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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厄除けの神社とのこと。平日で誰も居ませんでしたが、めちゃくちゃ落ち着く神社でした。近隣の店舗や医院の提灯や木札が多かった。