銀閣寺のそば、静謐な大文字寺。
浄土院の特徴
銀閣寺のすぐ隣に位置し、通称大文字寺として知られています。
五山送り火の一つである大文字焼きを管理している重要な寺院です。
歴代住職のお教を唱えられ、精神的な安らぎが得られる場所です。
2024/9/1大文字焼(五山送り火)の際、参拝者が多く訪れ、歴代の住職もお教を唱えているみたいなので、[大文字寺]とも呼ばれているみたいです。境内に入って良いのかわかりませんでしたが、入りましたが、仏像がガラス越しに見え、こじんまりとしてましたが綺麗に管理されていて、閑かで良い雰囲気でした。
【浄土院(大文字寺)】2024.8.11㈰「銀閣寺(慈照寺)」の参道前横にある寺院です。こちらは「大文字の送り火」のかがり火の前で読経される由緒ある寺院で大文字お精霊送りの申し込みも出来るみたいです。お盆で銀閣寺は沢山参拝者がいたのに、こちらは誰もいませんでしたがインターホンを押して女性の方に御朱印(300円だったと思います、写真参照)の対応をして頂きました。直書きで大文字の絵が書かれていて良かったです。大文字の送り火で知られていない寺院かも知れませんが行く価値ありです。専用駐車場はないので銀閣寺と一緒に有料駐車場に停めてお参りされる事をお勧めします!
京都府京都市左京区銀閣寺町30にある浄土宗の寺院です。8月16日にある五山送り火の大の文字を点火する、如意ヶ嶽(大文寺山)の送り火を管理する寺で1722年(享保7)の建立。天台宗浄土寺が応仁の乱で焼け、跡地に足利義政が東山殿を造営、のち慈照寺(銀閣寺)となるが、これとは別に浄土寺の名を受け継ぐために塔頭の寺を統合し建立されたという。浄土宗。本尊は「義政公の持仏なり」と「坊目誌」に記されており、寺宝の黒仏(藤原仏)は旧浄土寺本尊と伝える。弘法大師も併せまつり、大文字送り火時に山上弘法大師前にて、歴代住職が読経する。浄土寺門跡建立の因縁となりました。建立:1722(享保7)年ただし現在の寺は昭和の初期に再建される。アクセスは、京都駅か市バス5番で銀閣寺口下車し、哲学の道を通り10分です。
令和二年 京都初秋の旅 10月3日清泰山 浄土院浄土院(じょうどいん)は、京都市左京区銀閣寺町にある浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。山号は清泰山。五山送り火のひとつ「大文字」を管理しています(^^)境内で、参拝して一回りしてから寺務所の呼び鈴を鳴らしましたが誰も居ず(^^;;この寺は、かつて慈照寺(銀閣寺)の場所に浄土寺という天台宗寺院があった。この浄土寺の創建年代等については不詳であるが、986年(寛和2年)浄土寺で有明親王(醍醐天皇の皇子)の妃である藤原暁子が出家し、有明親王の子明救(みょうぐ)が入寺しています。その後、皇室との関係が深い他、門跡が多数入っていた近衛家から橘御園の寄進を受け、室町幕府8代将軍・足利義政の庶弟である義尋(後の義視)が入寺するなど、繁栄をしていました。
とても素晴らしいところでございます。本堂は瓔珞などの金の装飾によって、とても美しく趣のある場所となっております。またお盆になるとその場でご塔婆や護摩木を書くことが可能で、またその書いたご塔婆は檀家さんがお経を読んでくださり、それを大文字山の山頂まで運んでいただけます。
五山送り火の中で最も巨大な大文字の送り火の拠点となるため「大文字寺」とも呼ばれている。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では鈴木京香が演じている丹後局こと高階栄子の像あり。
浄土宗のお寺、銀閣寺に入る道の左側に入った所で見過ごしやすい。
応仁の乱で荒廃した浄土寺跡地に 義政が山荘を建てたものであるが 都の経済が疲弊していたにも関わらず 作ったのは権力者の傲慢さか それとも 戦乱でなくなった人々への祈りか 職がない人々への公共事業だったのか 慈照寺の横に浄土院がある 五山の送り火の一つの大文字を管理している大事なお寺である 義政 日野富子の実子 若くしてなくなった9代将軍義尚の霊をこの地から祈ったのか 想像が尽きない。
京都市左京区銀閣寺町にあり銀閣寺正門の直ぐ左隣です。清泰山と号する浄土宗知恩派の寺院で大文字本尊の安置所。五山送り火の1つ「大文字」を儀式することから「大文字寺」とも呼ばれているとのことで、送り火当日には多くの参拝者で賑わうそうです。
名前 |
浄土院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-771-5158 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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とても静かで落ち着いた雰囲気でした。銀閣寺のすぐ隣りなのであまり観光客がおらず落ち着いて観光できます。