太宰治ゆかりの夾竹桃。
太宰治の植えた夾竹桃の特徴
太宰治が療養中に植えた夾竹桃が残る史跡です。
隣の家から譲り受けた夾竹桃は歴史的な価値があります。
花が咲くといい匂いがする夾竹桃の香りも楽しめます。
夾竹桃はきょうちくとうと読みます。この低木は庭園樹や街路樹に良く使われますが、中毒事例がある危険な有毒植物としても知られており、キョウチクトウを植えた周りの土壌や燃やして出た煙にも毒性が残るという、見た目と違う危険性があります。太宰治の植えた夾竹桃という案内板には、以下の説明がありました。この夾竹桃は、太宰治(明治四十二年~昭和二十年)が、昭和十年夏から昭和十年秋にかけて、千葉県東葛飾郡船橋町五日市本宿一九二八番地 (船橋市宮本一丁目十二番九号)に借家住いをしていた時に、その製地内に植えられたものですが、昭和五十年十一月、その敷地が整備されることになり、改めてこの地に移植された。太宰治は、当時、「めくら草紙」の中でこの夾竹桃を植えた時の様子を書いておりますが、戦後の作品「十五年間」では、次のように、この夾竹桃に対する自分の愛着ぶりを書き遺しました。私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。私はそこで「ダス・ゲマイネ」といふのや、また「虚構の春」などといふ作品を書いた。どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ!!もう一晩この家に寝かせて下さい。玄関の夾竹桃も僕が植たのだ、庭の青桐も僕が植るたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れてない。昭和五十八年三月船橋市教育委員会船橋中央ライオンズクラブ。
大きくない夾竹桃でした。
太宰治が船橋において短い療養中に、隣の家にあった三本の夾竹桃を見て気に入り、そのうちの一本を譲り受け、滞在していた借家敷地に植えた夾竹桃が残っています。その木が目の前にあると思うと感慨深い。船橋市中央公民館敷地の一角にあります。
歴史的な場所です🤗
もともとこの近くにあった太宰治の旧居の庭に植えられてたのをこちらに移したんやと花が咲いたらいい匂いがするんやろなー。
名前 |
太宰治の植えた夾竹桃 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.6 |
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きちんと残って管理されていることに驚きました。