小野小町終焉の地、静原の歴史。
如意山 補陀洛寺(天台宗 小町寺)の特徴
小野小町の終焉の地として由緒あるお寺です。
本堂には小野小町の老衰像や供養塔が多数あります。
京の通称寺のひとつで、小町寺の風景が広がります。
小野小町終焉の地と伝えられているお寺です。こちらにある三相変図は小野小町が老いて変わりゆく姿を現している図で、もののあはれを感じます。
由緒ある寺院。小野小町に関係があるのか、小町寺とも言われている。40年ほど前は遣水の池に鯉もいましたが、埋め立てられていました。
陸奥の国まで流浪の旅を続けた小町が、晩年、父が住んでいた静原を懐かしみ帰郷、この地で亡くなったといわれています。美しい小町が老醜そして死というものを人々に伝えています❗😢😢😢
如意山補陀洛寺天台宗延暦寺派御本尊:阿弥陀如来「京の通称寺の会」会員:通称名ー小町寺未訪。
静かなお寺です。
本堂に安置される小野小町の老衰像をはじめ、供養塔や姿見の井戸など、小町ゆかりのものが多く残る。
小野小町(9番)『古今集』春・113花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに全国にも色々ある様ですが, 京都で小町終焉の地と言えばこちらですね。
小野小町の最後の地。無料駐車場がバス停の横の小道を行くと左側にあります。「山門不幸」と張り紙があり、御住職が亡くなられたようで遺影がありました。
叡山電車の市原駅から戻る方向へ徒歩10分ほど。Google Map ではなぜか遠回りを指示されますが、素直に向かって大丈夫です。小さな峠のような場所は、車道と歩道が上下に別れているので、車だと見逃す可能性があります。「こまちでら」の石板の横に歩道から本堂に向けてまっすぐ階段が登っており、上には古寺を示す石塔や供養塔がいくつかあります。本堂の横の建物にインターホンがあったのですが気付かず、本堂前を左に行くと、正面が小野小町の供養塔でした。その上に建物があるのですが、休憩所のようで無人、施錠されていました。下に降りて、お宅に直接お声を掛けたところ、快く対応いただき、ご朱印を書いておられる間、本堂の中を拝観させて頂きました。小野小町の晩年の姿や仏像は素晴らしく、遠方ですが、来た甲斐がありました。
名前 |
如意山 補陀洛寺(天台宗 小町寺) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-741-3662 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

ここは四代目の小野小町である小野重子が亡くなった地だと思われます。全国には小野小町の終焉伝承とお墓が残されているのに、この地にお墓が無いのは、他の地にお墓がつくられている事が近世までしっかりと伝わっていた為と思われます。四代目小町の墓は鳥取県の伯耆町にあるお墓が最有力で、同地は三代目小町(四代目小町の母)の故郷と言える場所の様です。残されている伝承を丁寧に検証した結果上記の結論が導き出されています。なお、お寺へと入る道がとても狭く急勾配なので大型車には辛いと思います。五代目小町子孫 龍海。