源頼政の墓で歴史を感じる。
源頼政の墓の特徴
鵺退治で知られる源三位頼政の墓石が見られます。
平清盛側から源氏側へ転じた歴史的な場所です。
清和源氏の支流の一つが冠している由緒ある墓所です。
源賴政的墓所。
一口に清和源氏と言っても支流が多数あり、それぞれ本貫地を冠して「○○源氏」などと名乗っている。頼政は摂津源氏の祖・頼光(俗称の「らいこう」で有名)の系統になる。頼光の弟が河内源氏の祖・頼信であり、この子孫が頼朝になる。頼朝も頼政も頼光・頼信兄弟から数代以上下るから、同じ源氏でもほとんど赤の他人かな。平治の乱では頼朝の父義朝が平清盛に敗れたのに対し、頼政は清盛側につき明暗を分けた。頼政は平氏政権下で武家としては高位高官を極めた。源三位(げんざんみ)という通称は官位が従三位(じゅさんみ)だったことによる。晩年には平家の下風に立つのを潔しとせず、以仁王と図って平家打倒を企て、挙兵して敗北、この地で自害することになる。享年は77歳だったと思うが、今でいえば優に90歳を超えた老体にムチ打って奮戦したわけで、その気迫には恐れ入る。
鵺退治をした源三位頼政の墓石。
源平の戦いで、最初は平清盛側についたが後に源氏側について「宇治平等院の戦い」で敗れた源頼政の墓があります。菩提寺は岐阜にあるようですが、亡くなったこの場所に墓所はあるようです。後の宇治川の戦いなどもありますし、宇治川は戦略的に重要だったのですね。兵どもの夢の跡に思いを馳せることができます。
名前 |
源頼政の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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不巧雨越下越大,只能快速拍個照,難以靠近細看。