醍醐寺開山堂、歴史と景色の絶景!
開山堂の特徴
醍醐山の頂上に位置し、桜満開の景色が楽しめる場所です。
重要文化財として、聖宝理源大師像や弘法大師像が安置されています。
豊臣秀頼が再建した歴史ある建物で、堂内は威厳あふれる美しい姿を誇っています。
醍醐山の頂上地点、春先は花咲いて見晴らしも最高でしょう。
御本尊:聖宝理源大師像/弘法大師像/観賢僧正像醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂です。最初は御影堂(みえどう)といい、延喜11年(911)に理源大師の弟子、醍醐寺第一世座主、観賢僧正によって建立されましたが、後に焼失してしまいました。鎌倉時代に再建されたものの荒廃してしまいましたが、現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもので、雄大な桃山時代の特徴を表した山上最大のお堂となっています。拝:2020/10/11
開山堂(重要文化財) - 延喜11年(911年)に醍醐寺初代座主観賢によって創建。当初は御影堂と呼ばれていた。慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建。内陣の厨子には理源大師(聖宝)坐像などが安置されている。
上醍醐の一番高い所に建っていて向かい側に標識が立っています。標高450m。ここへ向かう山道も上醍醐の境内も静かで神聖な空気が漂っています。
女人堂からここまで、1時間以上かかった。平日の15:00過ぎ、誰もいない。
西国33カ所 霊場巡り 第十一番 t上深雪山 上醍醐 准胝堂tttt ( 醍醐寺 )桜満開の便りに便乗、醍醐寺から、峰々を通りt 第十二番 正法寺(岩間寺)へ、凡そ13キロ余のウオーク霊場をする。
醍醐寺開山堂は豊臣秀頼によって慶長13年(1608)に再建されたそうです。内部の厨子の中央に開山理源大師、右に第1世観賢僧正、左に弘法大師の御影をお祀りしているそうです。
この開山堂は醍醐の山の中でいちばん高いところに建っています。聖宝理源大師がここに伽藍配置をするときは、とうぜん准砥堂をいちばん高いところに建てるべきなのに、どうしてここ空けておいたのでしょうか。それは自分がここに眠るためでした。 無限なる能力をもつ神としての性格をもたせるためには、普通の死に方ではなくて、「入定」という死に方でないといけません。これも神になる一つの宗教的な実践です。苦行をしたり、断食をしたり、木食をしたりして、しだいに人間の穢れを取って、最後には生きたままで土中入定すると神になる、そういう日本人の宗教観念の構造があります。したがって、どこに行っても、山には坊さんと普通の神様と女体神という三つの姿の神様が「三神三容」でまつられます。 高野山の場合も、伽藍というところに丹生津比売神と狩場明神という一対の神様がいます。奥の院には弘法大師がいるので、やはり三つの神様です。山の信仰においては、坊さんであるより神様です。弘法大師は神様だから病気も治してくれる、厄も払ってくれる、神様と同じ働きをしてくれるという信仰が発生したわけです。 理源大師も、自分の墓所を醍醐のいちばん高いところに置きました。この山の伽藍配置は決してでたらめにできたものではありません。初めから計算されてできたものです。高野山がそうですから、理源大師は三神三容の考え方をもっていて、高野山と同じように、奥の院に当たるいちばん高いところに自分の墓所を設けようとしたでしょう。あとで弟子がやったことではありません。理源大師自身が計画していなかったら、当然、いちばん高いところに准砥堂が建つはずです。 開山堂はそういう設計で建てられています。慶長十三年にお骨が発掘されて、昭和の解体修理でも実際に確認されています。 開山堂の構造はたいへんおもしろくて、昭和に入って改築したときに理源大師のお骨が出ています。
中々の見晴らしです。達成感あります。開山堂前に醍醐山山頂の標識があります。
名前 |
開山堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0968-43-3286 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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なかなかの景色が拝めます。ここまでの険しい山道を登ってきたかいがあります。オフロードトレッキングお疲れ様でした(笑)