醍醐寺 五大堂で力を磨く。
五大堂の特徴
五大堂は醍醐天皇の御願寺として913年に創建された歴史的な施設です。
建物内には不動明王や降三世明王が祀られ、多くの信仰を集めています。
標高450mの上醍醐に位置し、堂前には修験者たちの銅像が待ち受けています。
延喜十三年(913年)に醍醐天皇の御願によって創建された御願堂です。五大堂は長い歴史の中で数度の火災にあっており、現在のお堂は昭和十五年(1940年)の再建の建物で、御本尊は五大明王像で通称「五大力さん」と呼ばれ人々に信仰されていて、近畿三十六不動尊霊場第二十三番札所になります。五大堂前の広場には三体の像が安置されています、中央に醍醐寺を開いた「理源大師」の像・左側に醍醐寺第一世座主「観賢僧正」の像・右側には理源大師が模範としていたという修験道の祖「役小角」の像があります。五大明王は不動明王像・降三世明王像・軍荼利明王像・大威徳明王像・金剛夜叉明王像になります、また堂内には五大堂壁画(仁王経曼荼)が掲げられています。
建物内は写真撮影禁止です。御注意下さい。
五大明王さんが祀られてます。
醍醐寺の五大堂は、鎮護国家・万民豊楽を祈願する道場として聖宝によって建立されたと伝えられているそうです。現在の建物は昭和15年(1940)の再建だそうです。ご本尊は五大明王像が祀られていたそうです。
五大堂 - 聖宝が鎮護国家の祈願道場として延喜13年(913年)に創建。慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって再建された。現在の堂は1940年(昭和15年)の再建。
近畿三十六不動巡礼の際に参拝しました。現在、五大堂にあった五大明王像は宝物館に収蔵しています。堂内の壁には菩薩や天が書かれていました。片道2時間程かかり、結構大変でした。
かつては文化財に指定されている五大明王が祀られ、2月23日の五大力仁王会の前行法要をここで行っていました。現在、五大明王像は霊宝館へうつりましたが、五大力菩薩の壁画がそのまま安置されています。
理源大師は、最初に薬師堂を、次に准テイ堂を建立します。その次に五大力明王をまつった五大堂を造りました。ここの五大力明王は悪魔除けの仏ということになっています。 鎮護国家のお経として仁王経と金明最勝王経と法華経の三つが、護国三経と呼ばれています。仁王経だけが密教の経典で、他の二つは顕教です。仁王経を護国の経典として仁愛のある王がいれば、その国は治まるということで「仁愛のある王がいること」という条件が付いています。 五大力明王がその国を護ってくれると書かれているわけですけれども、五大力明王は大日如来の変化仏である不動明王としてとらえられています。 本尊としては五大力明王の仏像と絵の両方がありました。仁王経の本尊になる絵画は、弘法大師時代までさかのぼると言われます。 仏像のほうは、東寺の本堂の後ろのお堂に、仁王経の本尊の五大力明王の御首が現在も残っています。このように、護国の経典として仁王経が尊ばれ、五大力明王が拝まれました。それを上醍醐でお堂にして、今度は庶民信仰で厄除けの本尊として現在まで存在しています。 この建物は新しい建物です。一月二十五日の五大力さんのお祭には、たいへんな数の人が登ります。五大力というところから力くらべもありまして、何十キロというお餅を、一定のところから歩いてもっていくと賞品がもらえるそうです。このときは柴灯護摩が焚かれたりして、たいへんにぎやかな雰囲気があります。
山の上に静かに建っています。
名前 |
五大堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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伏見区醍醐寺の五大力さん修験道を志す行者さま方の登竜門五大明王さまに懺悔私心桟下の真を誓い不動明王さまに導かれまして、大峰山参乗ケ岳にて男を磨き上げ下山致します、五大力さんは力自慢が集い大きな生きがいを示せる場でありますよね。