歴史と共に味わう、煎茶の故郷。
永谷宗円生家の特徴
世界初の緑茶製法を考案した永谷宗円の生家跡で感慨深い体験ができる。
ボランティアによる丁寧な宇治茶の歴史や美味しい煎茶の入れ方の説明が受けられる。
紫陽花の美しい景色と、静かな茶宗明神のそばに位置する特別な場所である。
煎茶の故郷の存在を知りませんでした。たまたま、信楽へ行く際、新名神が混んでいたので城陽周りで下道にて行こうとしたら、見つけました。普段はあんまり人が来ないところで、めっちゃ住宅街を抜けていきますので、ちょっと不審な感じで見られてしまいます。ただ、年末や茶摘みの時には、百人単位で来るみたいなので、知る人ぞ知るというところです。なんでも宇治田原町あたりは、茶畑に幕府の命令でカバーをかけられなかったため、普通に飲むと苦いだけのお茶になり商売として成り立たなかったために、このような手揉みが生まれたそうです。VIDEOを15分ぐらいとおばちゃん達に色々と伺うととても良くわかります。ここで淹れてくれた煎茶はめちゃくちゃ美味しかったです。ただまあ家ではなかなかその配合では贅沢で入れられません。
あいにく平日は休館日。土日のみです。でも紫陽花が満開できれいでしたよ。多分管理してる方だと思うんですけど、たくさん紫陽花をいただいて挿し木にしました。
道が舗装されたのはおそらく昭和の後期だろうし、ここまで坂を登れる車が市販されるようになったのはさらに後かもしれない。集落は裏山に登る道にも続いている。(その先に茶園がある。)裏山への坂の途中に町長を長く務めた家の立派な家屋がある。小学生は雨の日もその坂を上り下りしていた。そんな集落にある。
日本緑茶の祖と呼ばれる永谷宗円の生家。集落を進んだ奥の小高いところにありました。6月に行きましたが紫陽花がとても綺麗で眺めながらお茶をいただき素敵な時間を過ごすことができました。
入場料無料で永谷宗円さんのゆかりの地元の方(女性の方でした)が、ボランティアでこちらの館長されておられて、永谷家の歴史、宇治茶の歴史、、美味しい煎茶の入れ方まで、説明して下さりました。また煎茶の試飲もさして下さりました。一杯目はぬるいお湯で、2杯目は熱いお湯で、同じお茶っ葉で作って下さり、味がそれぞれ違う事が分かりました。有難うございました。また永谷宗円様が、宇治田原市出身の方で、日本の緑茶を(宇治茶)最初に作られた方で、あの日本人なら誰しもが知っている、お茶漬けで有名な永谷園の創業者の方が永谷宗円さんの次男の方の家系の方とあらためて知る事が出来て、嬉しく思いました。永谷園のお茶漬けは日本の国民食であり、子供のころから美味しく頂いていました(大好物でした)ので、感激しました。またこちらでも緑茶を、販売もしておられ、宗圓という煎茶(緑茶)をありがたくお土産に買わしても頂きました。お家帰ってからも美味しく煎茶頂きました。香りも素晴らしく味わい深いお味で、美味しく!頂きました!緑茶も入れ方一つで味が違う事も教えていただき、有難うございました。
世界で初めて緑茶の製法を考案した永谷宗円の生家を再現した場所です。平日は閉まってます。ご注意を。集落の奥にありとてもしずかな場所です。ここでいつも飲んでる緑茶が生まれたと思うと不思議な感じがします。お茶漬けで有名な永谷園さんの碑が建っています。それもそのはず宗円は永谷園のご先祖様だそうです。
建物は再建ですが、当時の焙炉跡が残っていて揉み茶のルーツを間近で見学出来、感慨深いものがありました。10分強のビデオ鑑賞でお茶の知識も身につきます。
約束ゲンマンしたよね。お墓もね!!
昭和35年、永谷家があった場所に茶をもみ上げながら乾燥する『焙炉(ほいろ)』を保存する施設として「生家」が建てられた。永谷宗円は15年の歳月をかけて、日本緑茶の製法を開発したとされるが、これを実証する史料に乏しいようで、何代かの継続した事業と見なされているようだ。しかし、斜陽となりつつあった宇治田原の茶を江戸で販売するルートを開拓したことは証明されており、その功績は大きい。宗円直系の子孫は現在も茶問屋を経営している他、「永谷園」創業者も輩出し、宗円は昭和29年、そばの茶宗明神社に「茶宗明神」として祀られている。なお、周囲は道が狭いので、車での乗り入れはお勧めできない。
名前 |
永谷宗円生家 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0774-88-6638 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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ふらりと立ち寄っただけなのに、地元のボランティアの方が緑茶の製法を解説してくださって、DVDを拝見してお茶までいただきました。とても勉強になりました。施設の維持費100円だけではもったいないくらい有意義な時間を過ごせました。