古き日本の息吹、石碑巡り。
鏑 矢 塚(八尾市太子堂)の特徴
龍華コミュニティセンター前に位置する石碑です。
物部守屋を射た鏑矢が埋まる伝承があります。
史跡巡りには将軍寺や弓代塚もおすすめです。
丁未の役のときに、迹見赤檮が物部守屋を射た矢を埋めた場所と言われています。鏑矢塚と呼ばれていますが、いわゆる塚や土饅頭は無く、石碑があるだけです。この時代にはまだ鏑矢は無かったと思いますが、それは後世そう呼ばれるようになったということでしょう。この場所とは別のところにあった説明板には、ここは「守屋を射抜いた鏑矢が落ちたところ」とも記されていました。矢が守屋を射抜いて更に飛んだとはちょっと考え難いですが、迹見赤檮は後の鎮西八郎為朝のような強弓の使い手だったということでしょうか?
龍華コミュニティセンターの前にあります石碑だけです。
日本の古き時代の息吹を感じます😀
迹見赤檮(とみ の いちい)が物部守屋を射た鏑矢が埋まっていると伝承されています。守屋を射た迹見赤檮は後に、四天王の一人である広目天とされますが、この近くにある大聖勝軍寺の門前には弓と矢を持った広目天像がありますので、そちらも見落とされませんよう。(一般的に広目天は弓矢を持ちません)また、ここより南に少し行くと高圧電線塔の下に、迹見赤檮の『弓代塚』があります。分かり難い場所ですが、歴史に興味を持たれている方は行ってみるのも良いかと思います。この2つの場所は、迹見赤檮が後の四天王寺建立に絡むことになる、歴史上とても意味の有る場所です。
史跡巡りで近隣の将軍寺や物部守屋の墓、弓代塚、樟本神社三社などと一緒に回る感じです。
587年、厩戸皇子と蘇我馬子は物部守屋と戦い打ち滅ぼすが、その時、彼を射止めた鏑矢を埋めた所と案内板に書かれている。激戦があったのは確かだが、その矢が今も残っているはずもない。猫の額のような一画に石碑が建っているだけだ。単に戦場の一事象だけなのに、日本人の歴史に対する考え方は、この石碑ひとつにもその思いやりが感じられる。
| 名前 |
鏑 矢 塚(八尾市太子堂) |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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図書館の前に石碑があります。桜が咲いていると綺麗に見えます。