一刀石の神秘、自然美満喫。
天乃石立神社の特徴
天乃石立神社は一刀岩を拝む静かな場所です。
鬼滅の刃にも関連する歴史的な巨石が魅力です。
山道を登ることで出会える神秘的なパワースポットです。
道中随分細い道を登って行くんだな…車はまずムリかな…と思いながらバイクを走らせると直に鳥居が現れたのでそこから徒歩で💨💨💨何とも自然美溢れる幻想的な光景に時を忘れしばし見とれていました。一刀石もなかなか迫力ありましたよ👍
奈良の柳生の里。「人が踏み入って良いのかしら…」そんなふうに感じる場所でした。#天乃石立神社 は、剣豪柳生一族が修行したところ。巨石があちこちごろごろ。トカゲにほっこり。キランソウを見つけてしゃがむと、顔の真ん前にシマヘビが居て、びっくり。向こうもびっくり。1.5メートルはある大きなシマヘビ、どっしりしてました。山の中を歩いていくと、木漏れ日。ふかふかの土地面。だんだん、木の根が生き物のようにうねうね。巨石がゴロゴロ。日本って、深いなぁ。
鬼滅の刃のコスプレの人が当時はたくさん来てました。本当に近くでこの岩を🪨見たら感動しました!!また道中もワクワクして楽しかったです。
天乃石立神社(あめのいわたてじんじゃ)の創建年代は不明です。古代人の巨石信仰の名残と考えられています。式内社です。祭神は、豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)・櫛石間戸命(くしいわまどのみこと)・天磐門別命(あめのいわとわけのかみ)・天照大御神です。戸磐明神、戸岩谷神社、神戸岩神社とも呼ばれています。巨石の傍らに拝殿があり、神殿はありません。拝殿近くのきんちゃく磐と呼ばれる丸く大きな岩が、日向神社です。横に伏したような三角錐が前伏磐で、天立神社です。その後方で、斜めになった壁のような前立磐が、天石立神社です。その前立岩の背後に添うように後立磐があり、天石吸神社です。この四つの巨石の総体を、天石立神社と呼称します。
2025/1 参拝巨石だらけの神社です鬱蒼とした、でも心地が良い参道を抜けたら巨石が並んでいます結構綺麗な線形をしていますね是非その目で見て下さい。
巨石(虚石?)信仰の神社。奈良県のこの辺りには巨石がゴロゴロあり、神格化されたもののひとつ。夏場の暑い時期に行きましたが、神社までの山中は背の高い木々が多く、木洩れ日が入る程度なので、そんなに暑くはありません。そんな山中で巨石に出会うと、何か神々が宿っているような、そんな感覚にはなりますね。湧き水らしきものもあり、足元は良くなかったりしますので御注意ください。軽自動車なら鳥居まで何とか来れるかな位の幅の道ですので、ふもとの近くの有料駐車場(¥300~500)に車を駐めて徒歩で行くのが地域にも貢献できておすすめかな。
一刀石へ行く手前にあるこじんまりとした祠が佇む静かで穏やかなところです。ところが御神体とも言える二つに割れた巨石に唖然です。まるで現在の技術で二つにカットしたかのように真っ直ぐに割れています。ひょっとしたら今の技術でもかなわないかもしれない。とても、何らかの力を感じられるパワースポットではないでしょうかね。
社殿はなく岩(磐座)を拝するとのこと柳生新陰流の始祖が天狗を切ったとの思ったらこの岩だったという一刀岩というのがありました夏場は虫が凄いので避けた方が良い。
我が国の八百万の神信仰を絵に描いた自然や自然現象の偉大さを祀られているパワーを感じる事が出来る神社です。鳥居を抜けて参道自身が自然の力強さに満ちていて心が落ち着き祓い清められる感じです。境内と言えるかどうかですが、自然の苔むした巨石が鈴なりとなって谷を埋めていて、巨大な壁の様な御神体の一つである巨石が現れます。拝殿はその裏側にあり、天の岩戸を想像させる事からも天照大御神含め4柱が祀られていて、それぞれに巨石があてがわれているようです。とても質素な造りですが圧倒的なパワーを祀るには、これで良いのでしょうね。巨石群と拝殿を護る様な2本の巨木、静謐に包まれた時間帯に訪れるとこをお勧めします。
| 名前 |
天乃石立神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5687 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)。奈良県奈良市柳生町。式内社(小)、旧村社。【祭神】扉形に3つに割れた花崗岩の巨岩「前立磐」、「後立磐」、「前伏磐」の3石の周囲の樹間に注連縄を張り廻らし、これを神体として祀る。「前立磐」は「神戸(かんべ)岩」とも称すが、他の2岩とともに天岩戸の扉石が落ちてきたものという。また昭和28年(1953年)に南西の崖から落ちてきた丸形の「きんちゃく岩」を加え祀っている。・前立磐:豊磐牖命(とよいわまどのみこと)の神体岩で「天岩立神社」とも称す。・後立磐:櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)の神体岩で「天岩吸神社」とも称す。・前伏磐:天岩戸別命(あまのいわとわけのみこと)の神体岩で「天立神社」とも称す。・きんちゃく岩:天照大姫命(あまてらすおおひめのみこと、天照大御神)の神体岩で「日向神社」とも称す。各岩の祭神は『玉栄拾遺』に依るが、いずれ巨石を神霊の依代と見る古代日本における自然崇拝の好例として注目される。なお、鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、全て3,123柱の神々が宿るとしている。資料によると、創祀年代は詳らかでない峡谷には巨石重畳として谷をうずめ、殊に前伏磐と後立磐からなる巨石を天の石立神社の神体として崇敬している。巨石信仰より祭祀されたことは疑問の余地がなく、往古より社殿はなく、巨石を神体とし、樹間に注連を張り、巨石の東方に方一間の拝殿を設けている。すこぶる原始的祭祀の形態を遺している。谷間の神社で茶園より先は車は入れない。神社の後方には柳生新陰流の始祖柳生宗厳が一刀のもとに切断したと云ふ高さ2mに及ぶ一刀石の巨石もある。柳生一族の修練の場だったと伝わる。とあります。