素盞嗚命の神社、柳生の大自然。
夜支布山口神社の特徴
柳生街道沿い、大柳生地区に鎮座する神社です。
春日造りの本殿は雰囲気があり、大切にされています。
大きなヒノキがあり、趣ある神社の風情を感じられます。
ハイキングを兼ねてフラフラと柳生の里にやってきた。この神社が柳生一族の氏神だって、ふ〜〜〜ん、写真をパチリで説明文を文字起こししてみた↓夜支布山口神社Yasyu Yamaguchi Jinja Shrine大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内 にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年) に移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の 分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700 年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。
午後からお招き頂きました。その加減もあり街道は少し薄暗く参道を兼ねている石段から静謐で神秘的な雰囲気が醸し出されていて気が引き締まりました。この季節に色づくモミジがあり境内は少し和みもありますが鳥居から見える立派な拝殿が迎えてくれます。地元の氏神だと思います、神事の際には拝殿に集まるのでしょう、とても綺麗に整えられていて神聖な場であることを認識させられます。境内に多くの摂社があり、その中でも立磐神社はひと際目を引きます。この地域も春日移しで、本殿は奈良春日大社本殿を300年近く前に移築したもので春日造の立派で優雅な千木が目を引きます。古い石造りの鳥居から眺めると背後の木々や山が御本尊で、祭神は素盞嗚尊で根の国、実際には大山津見神が元は祀られていて奈良吉野から続く木を扱う地元の神を祀られているのではと思いました。延期式内神社でもあり古の時からの信仰がある素敵な神社です。静謐に包まれた少し神秘的な雰囲気も良いと思います。なお駐車場は無いです。路駐するしか無いですが農作業の方々に迷惑にならないよう注意です。
やぎゅうの神社です。地元の人に聞いて場所、分かりました。
なんて読むのか最初は分かりませんでした。とても静かな感じがする神社です。
夜支布山口(やしゅうやまぐち)神社主祭神 素盞嗚命(スサノオノミコト)摂末社祓戸神社戸隠神社靖国神社八幡神社春日神社白山神社・宗像神社御年神社・津島神社夜支布山口神社は柳生街道沿いの大柳生地区にある神社です。神社はその創建年代は不詳ですが、大柳生地区の氏神様として延喜式に既に記されています。神社の案内から抜粋大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内 にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年) に移したものです。 この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の 分霊をむかえる「回り明神」 と言う、 珍しい行事が伝わっており、 700 年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。駐車場は特にありませんが、階段下の柳生街道沿いに路駐すればいいと思います。参道から赤い鳥居を潜って入る道もあります。山口神社は各地にありますが、都の用材を採取するための山の入口にあることが多く格の高い神社だと思います。
柳生へと続く東海自然歩道の途上で出会す神社。麓の公民所では地域のご老人が花見をされているなど、周囲はのどかな感じです。こちらの神社内にも集会所があり、地域と密接なお社のようです。整備も行き届いている感じです。
大きくはないです 地元に大切にされてる神社ですね 春日造りの立磐神社本殿。
夜支布山口神社やきふやまぐちじんじゃ奈良県奈良市大柳生町3089祭神素盞嗚命夜支布は現在の柳生でしょう大和国にはたくさんの山口神社がありますその主旨は皇室の建物に材木を供給する拠点としたいますやはり山あいで森を持つ小丘に鎮座なかなか雰囲気のある神社であると思いました。
トイレがきれいで助かりました。
| 名前 |
夜支布山口神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0742-93-0112 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5691 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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夜伎布山口神社(やきふやまぐちじんじゃ)。奈良県奈良市大柳生町。式内社(大)、旧県社。【祭神】素盞嗚命<摂社>式内社(小)天乃石吸神社論社 大和国 添上郡鎮座 立磐神社(たていわじんじゃ) 祭神:天手力男命資料によると、独立の小山の麓に鎮座する。もと南方600mに在る上出の聚落に鎮座していたのを、中世に至つて立磐神社の鎭座する標高約300mの境内に安置したと云う。立磐神社は延喜・神名帳にその名をとどめる「天乃石吸神社」に比定される巨大な陽石を神体とする。柳生町山脇に存在する式内社「天乃石立神社」とともに巨石信仰を物語る。『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われます。祭神も多くの山口神社の例よりみて、本来は大山祇命を祭祀したとすべきであろう。現在の鎭座の地は、山口に該当するとは考えられず、古老の口伝の如く上出の聚落に鎭座し、その後巨石信仰のあつた立磐神社の境内に移建し、式内社としての祭祀を今に伝えたとすべきであろう。現在の当社の御祭神は「素盞嗚命」ですが、近世以前には牛頭天王を祀っており、明治の廃仏毀釈により仏教色の強い神である牛頭天王に代わって素盞嗚命を祀ったものでしょう。しかし本来の神は他の「○○山口(坐)神社」と同様に「大山祇神」だったと思われ、『神名帳考証』などいくつかの資料は大山祇神を祀るとしています。<摂社>立磐神社夜支布山口神社の境内摂社で、式内社「天乃石吸神社」の論社の一つです。御祭神は「天手力男命」。上述の通り当地は元々は当社の社地であり、中世に夜支布山口神社が当地へ遷座したことに伴い夜支布山口神社の境内社となったようです。創建・由緒は詳らかでありませんが、当社の社殿の背後に巨石があり、これを磐座として祭祀したのが当社であると考えられます。とあります。