滋野中学校跡地の隠れ家。
西洞院下立売交差点を南に行った西側にあるのが「滋野井の井桁」になります。「滋野井」とは、平安初期の公卿である滋野貞主の邸宅内に存在した井戸の名称になります。滋野井の井桁の石組のみ個人宅の庭で保存されていた井桁を滋野学区住民の熱意で「京都まなびの街生き方探究館」前に移転されたものになります。尚、「滋野井」と言える名水は、今でも京都府庁南 生麩の老舗・麩嘉 (ふうか)の府庁前本店駐車場横の井戸から湧き出てるので飲める様です。滋野 貞主(しげの の さだぬし)とは、平安時代初期の公卿・漢詩人、姓は宿禰のち朝臣で尾張守・滋野家訳の次男になります。 最終官位は参議正四位下行宮内卿兼相模守。早くから詩才が認められ勅撰漢詩集『文華秀麗集』の編纂に加わった。また、良岑安世(よしみねのやすよ)らとともに漢詩集『経国集(けいこくしゅう)』を撰進しました。天長8年(831)年には勅命により古今の文書を類聚した『秘府略』1000巻を編集するなど文化事業に実績を残した。
| 名前 |
滋野井の井桁 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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閉校となった元「滋野中学校」校舎玄関の入口にあります。今は、京都市教育委員会の「京都まなびの街 生き方探究館」となり、中学生の職業体験施設になっています。学校閉校後、学区住民の方のお庭に、都七名水の一つ「滋野井」の井戸枠と伝えられてあったものを、地元の学区連合会が譲り受けて、こちらに設置されました。元滋野中学校の校歌は、「滋野井(しげのい)の泉のほとり」で始まります。