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名前 |
蜷川親長(道標)の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
蜷川親長は、長曾我部元親とは正室が姉妹である義兄弟。つまり長曾我部元親、蜷川親長、斉藤利三の3人は婚姻関係による縁者という事です。親長は、足利義輝に支えていたが、義輝が亡くなった後に土佐へ下向し、元親に使えるようになった。文芸に長けた歌人でもあり、元親の基で「長曾我部百か条」の制作も担当したと言われている。元親夫妻の雅号授与の使者ともなり、長曾我部家改易時には、財務処理などに手腕を発揮した。その手腕を買われ、徳川家康から山城国に500石を賜り、家康の御伽衆として支えた。慶長15年(1610年)5月8日京都にて没し、享年78歳であったと伝わる。当家にとって大切な重臣であった人です!