昭和の香り漂う住宅地の公園。
新目白銀座住宅分譲記念碑の特徴
昭和15年に分譲された住宅地の歴史が感じられます。
大島土地が手掛けた貴重な史跡として知られています。
小さな公園の近くに静かに佇む隠れた名所です。
この一帯は昭和15年当時牛込区(市ヶ谷)に本社のあった大島土地(代表:大島芳春・大正14年創業)が分譲した住宅地。大島土地はその後現在の中野区東中野に本社を移し、その後社名を大島土地→大島土地建設→大島ビルディングと変え、現在は東中野南口に複数のビルを所有し賃貸する不動産管理会社として存続している。この碑と大島土地の歴史については「誰がこの町をつくったか」三浦 展著、2025年、而立書房に記載がある。
小さな公園の端にひっそりと建っていました。関東大震災が起こったあと、人は密集を避けて都心から郊外へと生活拠点を移し始めたのですが、こちらもそういう流れに沿っていたのかな?皇紀2600年って事は1940年(昭和15年)。太平洋戦争が起こる1年前ですね。こういう石碑が今日でもこうやって遺されているってのがなんだか素敵。
| 名前 |
新目白銀座住宅分譲記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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公園の外側にあります。文字が結構消えてますね。