八重の桜、歴史の舞台。
山本覚馬・八重邸宅跡の特徴
明治時代の京都府顧問、山本覚馬の邸宅跡です。
大河ドラマ八重の桜の重要な舞台となっています。
新島八重の夫、新島襄も同志社を設立した人物です。
大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重とその兄の山本覚馬の邸宅跡。八重の夫である新島襄は同志社を設立した人物でもある。
山本覚馬と新島八重の邸宅跡石碑と案内板があります。山本覚馬は京都府勧業掛として、京都府権大参事(後に知事)槇村正直による近代化策を推進した。覚馬は,明治8年(1875)にはこの地に住んでいたことを確認できる。この地には,覚馬の妹である八重(1845~1932)も同居しており,八重は新島襄の妻となった。https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na174.html
名前 |
山本覚馬・八重邸宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒604-8006 京都府京都市中京区河原町通御池下る下丸屋町394 タカオエステート |
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.5 |
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明治時代に京都府顧問だった山本覚馬の邸宅跡です。後に新島襄夫人となった、妹の八重も同居していた旨の詳細な案内板と石碑が、交差点の角にありました。