昭和13年創設、歴史が息づく。
東京陸軍航空学校西通用門跡の碑の特徴
昭和13年に開設された歴史深い史跡です。
立川小爆撃場地を転用した独自の背景があります。
昭和18年に改称されたことが重要なポイントです。
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| 名前 |
東京陸軍航空学校西通用門跡の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東京陸軍航空学校は、村山村(大南地区)にあった立川小爆撃場地を転用して昭和13年(1938)に開設され、昭和18年(1943)に「東京陸軍少年飛行兵学校」と改称されました。敷地内には生徒舎や生徒自習室をはじめ、各分野の学科講堂、剣道場、練兵場などが設置され、南にある正門のほか、北に4カ所と東西に1カ所ずつ通用門が設置されていました。終戦後、学校施設の解体に伴い、正門や通用門も同時に解体されましたが、東通用門の門柱は市内にある禅昌寺(西2コース)境内に移設されています。武蔵村山歴史散策コース(南東コース)の1つです。