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叔父が古い記録を調べるのが好きで石碑の内容を写しとっていた。大正9年と同12年3月(関東大震災の半年前!)関西方面へ新宿の人達で団体旅行が行われており当時55歳だった私の曾祖父の名前もある、かなりの長旅のはずだが第1回の時は1/3が女性のなのも興味深い。(当時の女性の名は平仮名二文字)大正4年の復刻版時刻表には東京駅午前7時20分発大垣行き名古屋駅午後8時40分着(東京ヨリ134.6哩←マイル表示です、三等2円76銭二等4円14銭一等ハ二三等賃金ノ和ニ等シ・特急急行列車には一等車、寝台車、洋または和食堂車あり)があるが当時山手線東京~上野間は開通しておらず新宿からこの列車に乗れたかも怪しい。「一行ハ蓄積数年二回参拝ノ途ニ就キ天祖神宮(伊勢神宮)ニ拝シ大々神楽ヲ捧グ皇祖橿原神宮(日本書紀建国の聖地)及ビ畝備御陵桃山御陵(初代神武天皇陵)ニ参拝皇位ノ天地ニ無窮ナルヲ祈リ帰途奈良法隆寺畝備吉野ニ我ガ朝ノ変遷及ビ古蹟古刹ヲ探リ高野山ニ崇視弘法大師ノ聖蹟ヲ訪ヒ大師及ビ祖先ノ霊ヲ祀リ新和歌の浦(和歌山市の景勝地ノ絶景大坂城址ノ天守址ニ登リ天王寺ノ巨鐘(幻の巨大鐘高さ788cm口径485cm2階建ての屋根の高さ位か昭和17年金属供出令で消失)ニ豊太閤(豊臣秀吉の敬称)ノ雄志ヲ想起シ京ニ嵐山嵯峨野東山ノ山紫水明近江八景(広重の浮世絵で有名琵琶湖周辺)ノ絶勝ヲ称テ三月十日一行無事恙ガナク帰郷ス」(最後の一行が読めませんでした、またカッコ内は私の注釈です)