歴史感じる江神社、丘の上の聖域。
江神社の特徴
高龗神(たかおのかみ)を祀る由緒ある神社です。
小高い山の上に位置し、歴史を感じる場所です。
延喜式神名帖に記載された歴史的な背景があります。
江神社(えのじんじゃ)御祭神は高龗神(たかおのかみ)合祀祭神は大山祇命、建速須佐之男命、石凝姥命、正哉吾勝勝速日天忍穗耳命、白山媛命、火之迦具津知命、大日霊命延喜式神名帖に記載された由緒と歴史がある神社。伊勢國鈴鹿郡十九座の一つ。ご由緒「当社は延長五年 (927年)の「延喜式」神名帳巻九に登載されていて、1000年以前に下庄宮の谷に鎮座する古社である。本殿は神明造りで、祭神は雨を司る神様で、祈雨・止雨に特に神徳があって、古来より農耕の神として五穀豊饒、無息災を祈願して祭られた。「江」は中の川の入り組んだ淀みを表わした言葉であろう。社記によれば当地は天名川(今の中の川)が流れ上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいたといわれている。その続きに鈴宮江の森があった。年ごとの出水で沼は浅瀬となり、やがて平地になって、田畑を耕作する人々が集まり緊落ができたのである。」社名を「鈴の宮」と呼んでいたらしく、慶長18年(1613年)奉納の棟札に『鈴大明神』の神号が書かれている。御巫清は直江神社を式内江神社としたのは誤りであるとした。江戸期同村の西に江神社上社(山王御霊)・東に下社(大焚天王)があった。現在、下社は存しないが、上社は江神社として現存している。社伝ではこの村に沼があり、その続きの字鈴宮(御庄垣内)に江ノ森がありここに鎮座したという。以後、沼は淺瀬に江ノ森辺も村の形を為すにいたり、元和7年(1621年)9月に現在の地に移転したという。旧社地は、現在町の中心にあたる公民館辺りという。当社は大井神社の有力な論社であるとも言われている。参拝者用の駐車場は見当たらりませんでした。何段あるか分からない程の自然石を積んだ階段を登る途中からこの神社の格の高さを感じました。拝殿は瓦葺きの建物ですが奥にご鎮座する社殿は神明造りで千木は内削ぎ、鰹木は六本の偶数でいわゆる「内宮系」でした。地元の氏子さん達が管理整備されているのが分かる良い神社でした。
えのじんじゃ。式内社である歴史ある古社。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)神社の入口にある鳥居をくぐると長〜い石段が。頑張って登りました。結構高い位置にあるんですね。祭神の高龗神は伊邪那岐神が迦具土神を斬った際の血から生まれた神である闇淤加美神(くらおかみのかみ)と同神とされる。高は山峰であり龗は竜神をさし雨を司る神とされる。社記にも太古には川の上流に竜神が住んでいたと記されている事から竜神信仰があったのであろう。
丘の上にある小さな神社です。
小高い山の上にあり 歴史を感じます。雨の神さま五穀豊穣。
| 名前 |
江神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63875 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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江神社(えのじんじゃ)。三重県亀山市下庄町。式内社(小)論社、旧村社。主祭神:高おかみ神(合祀)大山祇命 建速須佐之男命 石凝姥命 正哉吾勝勝速日天忍穗耳命白山媛命 火之迦具津知命 大日霊命資料によると、下ノ庄の集落は中ノ川の沿岸にあり当社は集落の北に当たる「宮の谷」に鎮座されている。「江」は中ノ川の入り組んだ淀みを表わしたことばでもあろうか。祭神の高龗神は雨を司る神で、社名を「鈴の宮」といっていたらしく、慶長一八年(1613)奉納の棟札に『鈴大明神』の神号が書かれている。社記によれば、当村に沼あり、その続きに字鈴吉江の森というところがあり、当初はここに鎮座されていたが、沼は浅瀬となり、江の森の辺りも村の形をとるようになって、元和元年(1615)九月、現在の地に奉遷したのだという。とあります。