新座市の平林寺、戦国の記憶。
増田長盛墓所の特徴
増田長盛の墓は平林寺内にあり、歴史を感じる場所です。
戦国武将の墓として寂しさを感じる佇まいが印象的です。
増田長盛の戦国時代の栄華を静かに見守る歴史の1ページです。
増田長盛の墓が、こんなところに、戦国の世の栄枯盛衰、兵者どもとは、言い難いが、これも歴史の1ページ。
埼玉県新座市にある平林寺に眠る戦国武将のお墓。武将というよりも豊臣政権で五奉行の1人として辣腕を振るった行政官のイメージの方が強い人物ですね。そんな人物のわりにお墓はとても簡素で路傍の石仏レベルの大きさ、説明がなければわからないくらい目立ちません。長盛が秀吉の死後、どうなったかよく知らなかったので改めて調べると関ヶ原では東西どちらにも通じて中途半端な立ち位置になった上に戦後は改易。その後岩槻城主の預かりとなっていましたが、大坂夏の陣で徳川義直配下の息子が大阪方に出奔し戦死、その責を負って長盛も切腹を命じられたそうです。そんなこともあってかこのようなお墓になってしまったんですかね。時の運はあったかもしれませんが、なかなかに切ないエピソードでした。
新座市の平林寺内にある戦国武将、増田長盛の墓。豊臣秀吉の家臣で五奉行の一人。関ヶ原の戦いでは宇喜多秀家、石田三成、大谷刑部らと共に西軍でした。
名前 |
増田長盛墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
〒352-0011 埼玉県新座市野火止3丁目1−1 平林寺内 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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五奉行の一人増田長盛の墓だが説明板もなく随分と寂しい感じだった。