静寂の中に偉大なヤマトタケル。
能褒野王塚古墳の特徴
日本武尊の墓と伝えられる能褒野王塚古墳は、静けさが魅力的です。
宮内庁管理のこの古墳は、歴史を感じる貴重なスポットです。
無料駐車場やトイレが完備されており、参拝がしやすいです。
白鳥伝説で有名な日本武尊の御墓で明治12年に内務省により日本武尊能褒野御墓と定められ現在は宮内庁により管理されています。平成25年に宮内庁書陵部が実施した調査によると、御墓の大きさは全長90m、後円部径54m、前方部長40m、前方部幅40m、後円部高8.5m、前方部高5.5mにもなる三重県北部最大の前方後円墳です。周辺には能褒野神社やのぼのの森公園があり、御墓に行く場合はのぼのの森公園第一駐車場に車を駐車して徒歩数分です。道中、駐車場にあった地図を見ながら行きましたが迷いやすく、舗装路を下って行くと突然未舗装路になり道を間違えたかなと思いますがそのまま進むと案内板が出てきます。階段を登って行くと左手に宮内庁管理の案内板があり、正面は敷地内に立ち入り出来ないように柵がされていました。そこから奥を見ると鳥居と鳥居の奥には古墳の盛り上がった部分が見えましたので、お参りをしました。父、第十二代景行天皇との関係が異なる古事記の倭建命と日本書紀の日本武尊。色々な伝説を残した皇子です。
能褒野神社の境内には多くの墳墓があり、その中でも一番大きな前方後円墳が日本武尊の陵墓だと言うことで、ここは宮内庁によって管理されております。明治の初め頃に能褒野が日本武尊の陵墓と認定される前は、古事記研究の第一人者である本居宣長も、同じ能褒野地区の加佐登神社にある白鳥陵が、日本武尊の陵墓だと認定しておりました。東征で身体がボロボロになった日本武尊は、足も三重に折れ曲がるほど傷つき(ここからこの地が三重県と言う名がついた)、その身体では大和まで辿り着けずこの能褒野の河原で亡くなったとされ、そして白鳥になって大和へと飛んでいったと古事記には書かれております。古事記は古代の日本のロマンが詰まった歴史書であり、当時の人々の思想や感情を垣間見ることができ、そしてそれは今を生きる私たちの精神性となんの変わりもなく、神話の世界を通して今を生きる私たちに、日本人にはなにか?ということを問いかけているような気がします。今から1300年以上前に作られた歴史書ですが、物質的に今よりも恵まれていなかったこの時代の人たちのほうが、今を生きる私たちよりも感受性に優れ、そして豊かな国民性や民度が既に形成されていたということに、私たちの遠い祖先の偉大さを感じます。この能褒野の日本武尊陵を見て、遠い昔に思いを馳せながら、そんなことをふと思った初秋の訪問でした。日本武尊ファンはもちろん、古代史や神話が好きな人にはおすすめの場所だと思います。
伊吹山の神の戦いに敗れ病を得、杖衝坂を杖をつきながら登り、大和に帰るべく西進した日本武尊でしたが、ついに能褒野(のぼの)の安楽川の川原で落命します(河原で倒れたというのはタクシー運転手のお話)。そこに築かれた陵が能褒野王塚古墳とのことです。陵が築かれたのち、日本武尊は白鳥となって大和に飛んでいかれました。この陵墓は宮内庁管理になっていますが、拝所のアプローチがわかりにくく、のぼのの森公園駐車場の奥にあるトイレ右側の橋を渡り、川に沿って左側の小道を100mくらい進むと、「お墓こちら」という小さな看板が立っています。そこを右に入ると拝所があります。
ヤマトタケルのお墓です。ほんと?と驚きましたが、ちゃんと宮内庁管轄です。その後、愛知県の熱田神宮にも能褒野のお墓の記述を見つけ、え〜やっぱり!そうだよね、宮内庁だし!と思いました。市の広報の方々なのか地域なのか、もっと知名度を上げるべく整備されたらと思います。
日本武尊の墓があります。古代史に出てくる有名な人物です。墓(古墳)があるとは知らなかったので驚きました。非常に美しく静寂な場所です。
日本武尊の陵墓とされている大きな古墳です。なぜか陵墓の遥拝所へのルートが示されていません。南側の駐車場から神社に向かって歩き、陪塚と陵墓の看板が見えたら、神社とは反対側の左に降りる道を行くと、陵墓の遥拝所に行く事ができます。
ひ7月10日にお墓参りしました、宮内庁が管理されています石段を上がります左側に有りますが少し参道がわき水などで荒れていました、
ヤマトタケルのお墓にしては、ひっそりしてます。古代好きには、たまらない場所ですが、色々と整備されて良いかと思います。
のんびりできる場所。日本武尊の霊廟なのに、訪れる観光客も少なく、まったり出来ます❗
| 名前 |
能褒野王塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0595-96-1218 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.kameyama.mie.jp/soshiki/seibun/bunsupo/machibun/docs/2014112312102/ |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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日本書紀、古事記に完全な記載があるヤマトタケルの政府公式の全方後円墳を御神体とした古墳が、はっきり、見学できる貴重なパワースポットです。長年、ヤマトタケル御墓の理論が展開されましたが、明治初期にこの古墳が正式に登録され、今でも、陵墓管理の宮内庁の委嘱された制服職員さんが居られます。そこに、亀山市の努力で、近代的な公園や駐車場が整備された、何時でも、四季を通じて、友人、家族、お子様連れで、三重県や日本の歴史が体感できる魅力的な場所です。ぜひ、来訪ください。