双龍神社で運を呼び寄せよう。
荻原神社の特徴
満州の双龍神社が合祀されており、特別な歴史があります。
明治40年の合祀令により、多くの神社を集めて形成されています。
連絡をしてから訪れると、宮司からお札を受け取ることが可能です。
やや町の中心にあります宮司さんは 土日だけが動けるそうなのでお札とか授与されたい方は連絡してからいくと良いですTwitterとインスタグラムをやってます。この近くにはコンビニはないので、お昼近くに行く場合は 農協のスーパーがありますのでパンや飲み物が欲しい方はそちらで、
参拝させて頂きました。有難うございました。敬神崇祖。2021.4
名前 |
荻原神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2887 |
評価 |
4.2 |
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満洲国濱江省に鎮座していた双龍神社(満蒙開拓団の双龍開拓団の氏神)が合祀されています双龍神社満洲国濱江省巴彦県双竜地区 (現在の黒竜江省ハルビン市内) に昭和18年12月鎮座御祭神:天照大神・豊受大神三重県神社庁のサイトによると明治40年の合祀令により、村内の主神社(村社7社、無格社10社、境内社64社)を合祀した。昭和61年秋季大祭に旧満蒙双龍開拓団の氏神神社であった双龍神社の御霊を中国政府の特別な計らいにより返還を受け、合祀した。また、満蒙開拓団というサイトによると三重県内で満蒙開拓民移出に大々的に取り組んだのは多気郡・度会郡で、山間部の村が多い両郡では「分村」という形式で移民を多数送出。入植地は「神路郷」(浜江省巴彦県、現黒竜江省)と名付けられた。昭和13年の県の計画では、五年間で両郡10ヶ村から移民1,500戸・青少年義勇軍150人を送出するという内容だった。終戦当時の開拓団149戸・547人のうち、翌年の引揚までの間に232人が殉難。と記される近隣の方に話を伺うと拝殿の石灯籠の奉献者である沢田寿江さんはご主人と共にハルビンへ向かい寿江さんは現地で教員をした後、引揚げ後も大台町で教師をしていたとの事双龍開拓団の多くはは現在の大台町の住民だったがその中でも旧領内村の村民が大半だったとの事でした。