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| 名前 |
小柳分かれの道標 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
享和3年(1803年)「左 ミつくゑ ゆばら」「右 こやなぎ ゑび」一の沢の西側はかつての大山道(横手道)のうち、御机・下蚊屋・岡山県方面の道と吉原・江尾方面の道が分かれる場所でした。施主等が記された面には「備前児島郡柳田村」の文字があり、19世紀初頭には瀬戸内海にも近い場所からも大山を目指す旅人が多かったこと、そして横手道が岡山県から大山へのメインルートであったことがよくわかります。なお、この道標は大山環状道路(県道45号)からは見えず、まず一の沢の西の道路脇にある案内標柱を見つけて、それに従って山道を少し歩くことになります。