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今現在はらせん状の井戸は残ってはなく、ただすこし低くなっているだけである。深さが何十メートルに達する井戸でらせん状であったとあるので、壮大な井戸であったのだろうと思われる。1から人の手で作ったとは考えにくいことから、自然の地形を利用した井戸であったのであろうと、私は考える。その自然の穴の形態がだいだらぼっちの足の跡のように昔の人に受け取られ、だいだらぼっちの伝説が残るのではないだろうかと、勝手に思う。今はその面影はない。❶【参考 神奈川の文学をたずねて 1964年】めいめい塚いまから千年ほど前のもので、らせん状に幅広く掘り、カタツムリのからのように、ぐるぐる回りながら水をくみ上げるところから、めいめい井戸とよばれた跡である。今は少し低くなっている。其の盛り上げた土の所をめいめい塚と呼んでいる。❷【参考 さがみはら史跡散歩 1959年】相原は古くから開けていた。こういう高台は井戸を掘っても容易に水が出ない。おそらくこのあたりは相模原でも一番高い所といわれているから、30メートル近く掘らないと水が出ないだろう。それで、細く深く掘るのではなくて、幅広くに深く掘っていく。水が有るところへは、らせん状的に、カタツムリの殻のように、グルグルまわりながら下へ降りて行って、水をくむのだが、それがカタツムリのようなので、めいめい(蝸牛)井戸と言った。それでその井戸を掘るときに、土を盛り上げた処をめいめい塚と呼んだ。これはどこでも見られるようなものではなく、珍しいものだという。