品川神社で偉人に会う。
板垣退助の墓の特徴
品川神社の裏手にあり、訪れやすい立地です。
板垣退助の偉業を偲ぶことができる場所です。
立派な墓石が印象的で、神式の円墳ではありません。
板垣退助の墓は、東京都品川区にある品川神社の裏にあります。(墓石の刻印)⦿墓石正面に『邦光院殿賢徳円大居士』の法名が刻まれています。⦿墓石背面に『従一位勲一伯爵板垣退助之墓』と位階、爵、勲位等と俗名が刻まれています。(墓の周辺)⦿板垣退助の墓の傍らには、演説中に刺客に襲われた際に言ったと伝えられている『板垣死すとも自由は死せず』が刻まれた石碑も建っています。板垣退助の墓と同型式で小型の絹子夫人の墓も並んでいます。
神社参拝で偉人の墓参りができるとは思ってもいませんでした。それも授業で習った自由民権運動の父。ありがとうございます。
品川神社(京急本線の新馬場駅が最寄り)の裏手に在ります。静かな場所で安らかに眠られていることと思います。でもすぐ横は民家です。
品川神社内にあるお墓ですが、神式の円墳ではなく、普通の墓石(とっても立派ですが)です。また、板垣退助のお墓の横には夫人の墓も並んで建っています。どうしてと思いましたが、元々は高源院の墓地にあったお墓が、その高源院が関東大震災で別の場所に移ったため、そのまま当地に残されて品川神社内のお墓となっているようです。また、演説中に刺客に刺された時に言ったとされる名言「板垣死すとも自由は死せず」の言葉が刻まれた石碑もあります。刻まれた文字は総理大臣 佐藤栄作の筆によるものです。「国会を創った男」として中央政界に活躍した方ですが、他方で、同郷の武市瑞山の名誉回復と顕彰、最近評価が微妙な感じではありますが、坂本龍馬の顕彰にも尽力しています。品川神社の本殿をぐるっと裏側に廻り、さらに垣根に空いた穴を潜ると、板垣退助の墓所があります。故郷の高知にもお墓があるようですが、分骨されたお墓のようで、品川神社のお墓に埋葬されているようです。
品川神社の右脇にある細い道を通りやや下った場所にあります。板垣退助は明治時代の政治家で明治7年に日本初の政党である愛国公党を結成しました。また、自由党(現在の自由民主党)の初代総裁を務めるなど、自由民権運動の父と呼ばれています。
| 名前 |
板垣退助の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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板垣退助の墓は品川神社にあります。「板垣死すとも自由は死せず」が記された石碑もあり、板垣退助を偲んでいます。