吉備真備が見守る、心安らぐ寺。
妙法寺(御厨子観音)の特徴
香久山近くに位置する秘境的な仏教寺院です。
十一面観音菩薩を祀る真言宗高野山派の聖地です。
吉備真備の発願で創建された歴史深いお寺です。
お寺の本堂裏に神社が有ります。駐車場裏手に神社直通の参道が伸びてます。長い階段の先に磐が見えてきます。
幸せの鐘鳴らせて🔔もらいました。いい音色でした。からす、猫暴れる、困ったことなんだけど、ちょっとほのぼのします。
おふさ観音と安部文殊院の真ん中を万葉の森へ向かう角に有りました 竹林を抜けると広い駐車場あり『みずし神社』と併設して存在しています⬜️由緒板より転写⤵️御厨子山 妙法寺(御厨子観音)□寺院は霊亀二年(西暦七一六) 右大臣吉備真備発願の寺 きびのまきび として入唐留学無事帰朝の願いがかなえられた謝恩の為 人平七年(西暦七三五) その子善覚律師に観音堂を創建せしめたものである。小室院・南室院等の寺院跡が残りこの附近の地名「大門」は 白山の山門跡である。御厨子神社は当山の鎮守八幡大明神を合祀し、二十二代清寧天皇の磐余甕栗の宮は、この山にあったと推定される。本堂より東を見下ろした低地は磐余池のあった所である。⬜️以上⤴️
橿原市でも香久山にちかいところにある秘境的なお寺。ボケ封じや水子供養などをされているよう。御朱印もありますよ。
南部倭観音霊場 二十九番札所 高野山真言宗 十一面観音菩薩。
落ち着いた雰囲気でお参り出来ました。
拝観をお願いしたところ、住職さんがお寺や仏像のことを詳しく説明してくださいました😃吉備真備の発願で建立されたお寺。当時の建造物は現存していません。遣唐使として唐に渡った吉備真備が帰朝後、観音堂を子の元興寺僧善覚に創建させました。観音堂の中に厨子があって、その中に観音菩薩が安置されています。脇侍は普賢菩薩、文珠菩薩という珍しい三尊形式。厨子の中には十二支の守り本尊も安置されていて賑やかです☺️傷んでいて展示できないそうですが、「御厨子山妙法寺縁起絵巻」も所蔵されています。ボストン美術館の「吉備大臣入唐絵巻」と重なる内容が含まれています。遣唐使として唐に渡った吉備真備が阿倍仲麻呂の霊(幽鬼)の助けで唐の人々から出された難題に見事に答えていく物語です。吉備真備伝説の後半に「観音菩薩の化身のクモの導きで難解な邪馬台詩を読むことができた」という御厨子観音に関連する話があります。邪馬台詩を読めなくて困った時に、観世音の名を唱えると天井からクモが垂れてきて詩の中央に降り、クモの這う跡を辿ると意味がわかったというお話。お寺は少し高台にあって、広々としたところが磐余池の跡地だそうです。
「磐余・山田の道/万葉の道」巻八の二の六 橿原市東池尻町みずし観音(妙法寺/みょうほうじ)ご本尊十一面観世音菩薩さまを祀る、真言宗高野山派の寺院です。「ぼけよけ地蔵尊」や眼病にご利益があるとされている「光明不動」などが有名で、吉備真備の功績の流れが続いています。時間的に訪れるのが遅かったこともありますが、この磐余伝承地の辺りにはどことなく”うら寂しい”印象が拭い去れません。快活な飛鳥や鹿寄せで歓声上がる奈良公園などとは真逆の佇まいです。「磐余」の地には神武天皇の諡号『神倭磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)』に由来する関わりをはじめ、神功皇后・履中・清寧・継体・敏達・用明などの天皇の皇居がこの地に所在したことは事実ですが、こういったことも含めて静かな環境を維持しているということなのでしょうか。
奈良時代の賢人である吉備真備が遣唐使として派遣され、無事唐から帰国できたことを喜び、天平7年(735)に善覚律師に命じて観音堂を創建させたことに始まります。有り難く、”一願成就”の御朱印を頂きました。南部倭西国三十三霊所29番と書かれておりました。
| 名前 |
妙法寺(御厨子観音) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0744-22-3928 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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お不動様のお姿が見えましたよ。いつまでも目がはっきり見えて素敵な景色を楽しめますように。