愛嬌溢れる猿石に会いに!
吉備姫王墓の特徴
吉備姫王墓は猿石というユニークな石像が有名な史跡です。
墓の近くには江戸時代に発見された猿のような石造物があります。
墓は欽明天皇陵の直ぐ横に位置していて、訪問しやすい場所にあります。
近鉄飛鳥駅から道路沿いを歩いて吉備姫王墓を探したが辿り着けず欽明天皇陵から案内図を見て吉備姫王塚へ4体の表情豊かな石造仏があり思ったより大きかった20250720
口コミの猿の石造物が見たくて訪問しました。飛鳥駅から歩いて10分もかからない丘の上にあります。奈良はこういった丘が多いのですね。歩いて散策するのがとても楽しいです。周りの環境は静かで細い脇道もあったりして地域の方々が変わらない景色を守ってくれているのだなぁと感謝しました。石造は、独特な顔の物もあり、四体が守ってくれていました。
2024年8月16日に参拝しました。陵墓名は、檜隈墓(ひのくまのはか)です。解説板によると、吉備姫王(きびひめのみこ)は、孝徳天皇や皇極(斉明)天皇の生母です。皇極2年643年に亡くなられました。江戸時代に隣りの欽明天皇陵の南側にあった水田から、4体の石像が掘り出されました。猿石と呼ばれ、この墓域に安置されています。自然石の形を上手に使って猿や人物が彫刻されています。磐井の乱(継体21年527年)後の岩戸山古墳に安置された石人石馬を連想させます。
飛鳥駅から徒歩10分位。家族や友達と自転車でウォークラリーの様に行けば楽しいと思います。一人で行くと話のネタにはなりますが変な顔の石が柵の中にあるだけです。
欽明天皇陵の直ぐ横にある。吉備姫王は斉明天皇の母。小さな墳墓だがその墳墓に猿石と呼ばれる奇妙な顔した石像が四体置かれている。一つはお猿さんのような顔で笑っている。
前方後円墳であるお隣の欽明天皇の方が有名でもおかしくないのに、何故かこっちの方が有名です。孝徳天皇と皇極天皇の母親にあたる吉備姫王(?〜643)の墓とされています。猿石というのは、墓内に4体の小さな石像が置かれている事からそう呼ばれていて、名の通り猿の石像もあれば、何かよくわからない石像もあります。これらは江戸時代に近くから見つかった物だそうです。
吉備姫王墓とされていますが、「猿石」という名称の方が有名かと思います。4体の猿石が、陵墓の中にいらっしゃいます。怨霊を封じ込めるとか、あるいは後の世の地蔵尊みたいなものなのか?
有名?な猿石がありますもっと大きなところかと思っていましたが、隣の古墳の方が大きかったですね。でも、宮内庁管理が歴史の重みを感じます。
吉備姫王は孝徳・皇極(斉明)両天皇の生母である。墓自体は小さな古墳であるが、四体の猿石があることで有名。どれもユニークな顔つきをしている(猿の名前がついているが人間を表したもの)。なお、猿石自体は本来この場所にあったものではなく、近くの田の中から掘り起こされたものである。
| 名前 |
吉備姫王墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
猿石目的の人が多そうな陵墓です。兆域の中の猿石の奥に少し盛り上がった場所があり、そこがお墓だと考えられます。吉備姫王が亡くなった時期を鑑みると、古墳ですかね?にしてもなぜここに猿石が置かれたんでしょうねえ。ここからは吉備姫王について。父は桜井皇子(欽明天皇第六皇子)、母は不明生年不詳茅渟王と結婚し、皇極(斉明)天皇と孝徳天皇を産んだ皇極天皇2年(643年)薨去。