静寛院で和宮さまの宝塔に触れてみて。
静寛院宮宝塔の特徴
増上寺に位置する静寛院宮宝塔は歴史深い場所です。
和宮内親王のお墓がある静寛院宮宝塔は特別な意義があります。
徳川将軍家の霊廟があった場所に静寛院宮宝塔がございます。
旧文昭院霊廟にあった家茂正室和宮の宝塔です。
言葉いらないね。
増上寺の徳川将軍家墓所にある十四代将軍徳川家茂の御台所である静寛院宮こと和宮内親王のお墓。幕末期に権威を取り戻りたい幕府とその幕府に攘夷を迫りたい朝廷双方の思惑により行われた将軍家茂と孝明天皇の妹である和宮の婚姻(公武合体)。和宮は許嫁の有栖川宮親王がいましたが泣く泣く江戸へ輿入れしたそうです。家茂との仲は良かったと言われていますが家茂は第二次長州征討で上洛中に病没。大政奉還後に朝廷を担ぎ上げた薩長を中心とした新政府軍が江戸に進軍すると和宮は朝廷に手紙を送り江戸総攻撃を止めるよう働きかけた人物でもあります。家茂の宝塔の隣に建てられた和宮の宝塔は青銅製で家茂の宝塔と同じ形をしています。将軍家霊廟が空襲で焼失した際現在の墓所に移す際遺体の調査が行われ和宮の遺体には烏帽子に装束を着た男性の写真が共に埋葬されていましたが調査の際に陽の光に当たり絵は消えてしまったそうです。夫の家茂とも許嫁の有栖川宮親王とも言われていますが真実を知るのは和宮だけなのかもしれません。徳川将軍家墓所の受付では和宮の御朱印を頂くことが出来ます。
かつての増上寺は歴代徳川将軍の霊廟がありましたが、戦災により焼失しました。この地に葬られていた徳川家の人々は昭和33年に改葬されました。天皇家より降嫁された和宮親子内親王もこの地に葬られていました。発掘調査時に1枚の烏帽子をかぶった男性の写真が副葬品として発見されましたが保管状況が悪く、翌日にはガラス板になってしまいました。そこに写っていたのが夫である家茂なのか、それともかつての婚約者なのか、永遠の謎です。
| 名前 |
静寛院宮宝塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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増上寺にある静寛院和宮さまの宝塔。隣には夫14代徳川家征夷大将軍徳川家茂の宝塔がある。和宮様の宝塔は青銅製で旦那様より立派。和宮様の強い意志で夫が眠る増上寺に埋葬された。